ロゴス古書

 年年歳歳 花相似たり
 歳歳年年 人同じからず 

宮沢賢治年譜

2008年11月23日 | 随想・日記

 

 宮沢賢治全集十字屋書店版 別卷 初版の編纂人から、宮澤清六が抜けていた。

第二版の二十三年版は、中身は初版と同じである。

 同じ二版発行でも二十七年版は、編纂人には宮澤清六も入り八人になっている。(19日 編纂人写真参照)

それ以外は変更がない。

 別卷には付録として、  

          宮沢賢治年譜…………………宮澤清六篇

          全集第六巻並に別卷解説……森 惣一

の資料が掲載されている。

 初版本は箱入り豪華本である。第二版二十三年版は戦後の物資不足でもあったせいか、箱無しで、表紙も厚紙で白紙であった。検印は宮沢印である。

 私のところにある同じ第二版の二十七年版は、箱入り豪華本である。検印は藤原印である。検印のことに触れる前に、別卷の宮沢賢治年譜にある出版日を示して置く。初版でしかも実弟清六氏の年譜である。

 

 昭和十四年 

   六月三十日、「宮澤賢治全集」(校定版第三巻)「童話集前編」十字屋書店より出版。

 

 昭和十五年

   一月十日、十字屋書店より「宮澤賢治全集」(校定版第二回配本第一巻)「詩集乾卷」出版せらる。

   三月十八日、十字屋書店より、「宮沢賢治全集」(校定版、第三回配本、第四巻)「童話集中編」出版せらる。

   九月卅日、十字屋書店より「宮澤賢治全集」「校定版第四回配本第二巻)一詩集坤巻」出版せらる。

   十二月三十日、十字屋書店より(校定版、宮澤賢治全集、第五巻)「童話集下」出版。

 

 昭和十八年

   十月三十日、十字屋書店より「宮澤賢治全集」(校訂版第六巻配本第六巻)「雑編」発行。

 

 大山さんは、これらについても検討をされて居られた。

 表にして上記に示したのは、戦争中とはいえ「校本全集」とのあまりにも違いがある「校訂」なので参考にもと蛇足を記した。

  

 

 

 

 


参考表

2008年11月22日 | 随想・日記

 

    十字屋版 発行日表

  [ 第一卷 ]  

 初 版・昭和十五年一月十日
 第三版・昭和二十一年十一月二十五日/第一版発行・昭和十九年二月二十八日    ①
 第三版・昭和二十四年十一月二十日 /第一版発行・昭和十五年一月五日
 第三版・昭和二十六年三月十日   /第一版発行・昭和十五年一月五日
 第三版・昭和二十七年六月二十日  /第一版発行・昭和十八年十月三十日

 [第二巻]

 初 版・昭和十五年九月三十日
 第二版・昭和二十二年五月三十日  /第一版発行・昭和十八年十月三十日 (6巻初)
 第二版・昭和二十三年三月二十五日 /第一版発行・昭和十五年九月三十日 
 第三版・昭和二十八年九月五日   /第一版発行・昭和十五年十二月三十日 (5巻初)

 [第三巻]

 初 版・昭和十四年六月三十日
 第三版・昭和二十一年五月二十五日 /第一版発行・昭和十九年二月二十八日   ①
 第三版・昭和二十四年三月二十五日 /第一版発行・昭和十五年三月十七日    ② 
 第三版・昭和二十八年十一月十五日 /第一版発行・昭和十四年七月十五日 ※    

 [第四巻] 

 初 版・昭和十五年三月十七日                  ←     ←    ←②
 第二版・昭和二十二年三月一日   /第一版発行・昭和十五年三月十七日    ②  
 第三版・昭和二十三年十二月一日  /第一版発行・昭和十五年三月十七日    ②
 第三版・昭和二十八年十月十五日  /第一版発行・昭和十四年七月十五日 ※
 第三版・昭和二十八年十一月十五日 /第一版発行・昭和十四年七月十五日 ※

  [第五巻]

 初 版・昭和十五年十二月三十日
 初 版・昭和二十二年十一月三十日
 第三版・昭和二十四年十二月三十日 /第一版発行・昭和十五年十二月三十日
 第三版・昭和二十六年五月十五日  /第一版発行・昭和十五年十二月三十日

 [第六巻]

 初 版・昭和十八年十月三十日
 第二版・昭和二十二年五月三十日  /第一版発行・昭和十八年十月三十日
 第三版・昭和二十七年六月二十日  /第一版発行・昭和十八年十月三十日

 [別 巻]

 初 版・昭和十九年十二月二十八日                    ←    ←  ←①”
 第二版・昭和二十三年五月二十五日 /第一版発行・昭和十九年二月二十八日   ①
 第二版・昭和二十七年七月三十日  /第一版発行・昭和十九年二月二十八日    ①
 第三版・昭和二十七年七月三十日  /第一版発行・昭和十八年二月二十八日


[「賢治研究」74(平成九年十二月三十日発行 宮沢賢治研究会)所収] 

  上記は大内尚氏作成のものです

      …     …     …      …      …      …

 

   (右端の記号はわたくしが記したものです。)

    ※ 在り得なかった日付

    ① は①”の訂正されたもの

    ② は四巻初版の日付 (三巻の参考の為に)

    (6・5巻初) は6巻と5巻の初版の日付を示す

 [ 別卷 ]  第二版・第三版は、昭和二十七年七月三十日発行

        第二版二種類のうちの昭和二十七年版は、検印 藤原印

        第二版の二十三年五月版は、        検印 宮沢印

   第三版の 「 / 第一版発行・昭和十八年二月二十八日」の昭和十九年のミスプリと見られようか。

 

 宮沢賢治の作品を世間にひろめ また大きな役割をはたした「宮沢賢治全集 十字屋書店版」の初版出版日は、昭和十四年六月三十日から昭和十九年二月二十八日であったと私の現段階での資料では以上のように考ている。

 検印や編集人等にも関連がある事例については何時かは考えてみたい。

 

 

 

       

 

 


初版の謎

2008年11月21日 | 随想・日記

 

 

   『「宮沢賢治受容史年表」からの報告(1)』に、大山さんは「十字屋版」の「刊行開始(第三巻)は、十四年六月三十日・十四年十一月・十五年三月の三説」であるが、「六月三十日」が「信頼できる日付」と思えるとしている。私も「六月三十日」説に同感である(詳説は省く)。 しかし刊行開始の混乱は何故起こったのか である。

 

 上記写真は、第三巻・第四巻奥付の写真である。大山さんの「各巻発行日表」にもあるが、どちらも第一版発行日付が昭和十四年七月十五日である。

 

 第四巻の初版発行日は、「大山表」にもあるが、昭和十五年三月十七日である。第三版・第四版の「第一版発行日・昭和十四年七月十五日」には、残念ながら大山さんは触れておられなかったようだ。昭和二十二・三年には第一版発行日が昭和十五年三月十七日となっていたのが、十字屋版後期出版(昭和二十六・七・八年)になると「混乱」が見られるのである。どうしてこのようになったのか、それには幾つか考えられると思う。

 「別卷」の発行日については、ミスプリ・正誤表が有れば誰しもが納得がいく問題であった。しかし第三巻や第四巻の発行日に付いてはもう少し複雑のようだ。

  初版の謎は、検印 「藤原版」にも関連があるように考えられる。


編纂人

2008年11月19日 | 随想・日記

 

   十字屋版全集 別卷 右側は初版で左側は第二版の写真

 

 扉裏面の編纂人氏名の写真であるが、初版には宮沢清六がなく、第二版には宮澤清六が見られる。奥付にはどちらも 編輯代表は 宮澤清六になっている。

 昭和二十三年五月二十五日第二版発行は、初版と同じである。但し奥付の昭和十九年二月二十八日 第一版発行とあるが、初版にあった十二月の所 ( 砂消しで十は消されていたが) は、訂正されて正しく二月となっている。

 写真は昭和二十七年七月三十日第二版のもの。(第二版は二種類確認されている。昭和二十三年版と昭和二十七年版)

 次回は検印について考えてみたい。

 

 

 


宮澤賢治全集「十字屋版 別卷」について

2008年11月18日 | 随想・日記

 

 

  宮澤賢治全集「十字屋版」の各版の発行日を「検討」するのに、「別卷」からはじめたい。

 「発行日の混迷ぶり」はなぜ生まれたのだろうか。そして如何様な意味を持つのだろうか。私は次のように考えている。

 受容史研究のみならず世の人々に「驚きと感動」を与えた宮澤賢治全集十字屋書店版は、ここで述べるまでもなく戦前戦後にかけて私どもにはかりしれない宝珠文を著わしてくれた。この刊行の意義は少なくない。

 財団法人宮沢賢治記念会から出た「修羅はよみがえった」のなかで杉浦さんは、「十字屋版」初版発行の期日を記している。そのなかで

  別卷   書簡    昭和十九年十二月    (前後略)

 としている。私の管見では「十字屋版 別卷」初版は何れも昭和十九年二月である。二版以後に記載されている初版期日も、同じく二月である。大山さんの「報告」の表にも、各版の「 / 第一版発行・昭和十九年二月二十八日」として二例記されている。(第三版・昭和二十七年七月三十日 / 第一版発行・昭和十八年二月二十八日になっている)「堀尾青史 宮沢賢治年譜」でも『宮沢賢治全集(全六巻別卷一)六月~十九年二月、十字屋書店刊』としている(文芸読本 宮沢賢治 河出書房新社)。問題は初版の奥付であるが、参考のため写真で示してたが、十二月の十を砂消しのようなもので消した跡が見られるのである。明らかに二月としたいための行為と見られる。

 ところで「記念会」から出版された「修羅はよみがえった」の歴史的な著書に、杉浦さんの記された「十二月」には何か意味が隠されているのかもしれない。知りたいところである。

 

        つづく


十字屋版全集の疑問

2008年11月04日 | 随想・日記

 

 

  先日 賢治研究会の読書会後に一杯をやり、帰りの混雑している車中で、M さんが 「Annual 読んでどうでしたか」と聞かれました。M さんには「まだ見ていません」と答えた。昨夜開いて見て以下のようなことはどうだったのであろうか、気になるところであった。

 111  杉浦 静「文圃堂版全集・十字屋版全集・組合版文庫」『修羅はよみがえったー宮沢賢治没後七十年の展開(あゆみ)』宮沢賢治没後七十年「修羅はよみがえった」刊行編委員会 編、(財)宮沢賢治記念会、07 年 9 月、169-182 頁

 

  賢治の没後間もなく、つぎつぎと刊行された文圃堂版全集、十字屋版全集、日本読書組合版『宮沢賢治文庫』の構成と内容についてくわしく検討し、評価した論考。  25頁

 

  私は10月4日 賢治研究会の例会に久々に出席した。

大山尚さんのお話をお聞きしたかったのである。

 

 大山さんには「賢治研究 74号」に『「宮沢賢治受容史年表」からの報告(1)』 (右のライン上をクリックしてご覧下さい)があるので、その後(2)が有るのかどうかを知りたかったので、出かけて行きました。

 当日の講演は、上記には関連有りませんでしたが、会 終了後いろいろとお話をお聞きできましたのが嬉しかった。

 大山さんは(2)はお書きになっておられないとの事でした。 

 さて 十字屋版全集を六十七冊を調査したのには驚きである。

私は初版についての違いは知らなかった。「賢治研究 74号」を拝見して知ったのである。

 大山さんの論考 終りの方をコピーしましたのでご覧ください。

 

 

  この他、この全集には検印の違いによる発行日と巻の編名の違いなどもありますが、そのことが何を意味するのか、また本文に違いがあるのかなど未調査の部分があるので、それらについては、ここでは指摘するにとどめておくことにします。
 最後に、調査した各巻の発行日付の異同を版別に掲載しますので、もし、掲載されていない日付のあるものを御存知でしたらお知らせいただけたらと思います。

 

 

 「最後に、・・・・もし、掲載されていない日付のあるものを・・・・」とありますので、第二巻に付け加えておきました。( [  ] で囲まれたところ)

 

 [第二巻]

 初 版・昭和十五年九月三十日
 第二版・昭和二十二年五月三十日  /第一版発行・昭和十八年十月三十日
 第二版・昭和二十三年三月二十五日 /第一版発行・昭和十五年九月三十日

 [第三版・昭和二十七年六月二十日  / 第一版発行・昭和十八年十月三十日]

 第三版・昭和二十八年九月五日   /第一版発行・昭和十五年十二月三十日

 

 

 次に「検印の違いについて」や、写真で見られる藤原印の検印の有るもの、また「第三版」でも見られるが、近い時期に二度にわたって日付の違う同じ版で出版されている等に付いては次回に検討したい。各版のものは藤原印のあるものが、第一版発行日の違いにも見られるので、これらの関連も考えてみたい。意味に付いては解らないが、この件についても次のきかいに譲ろう。