賢治自耕地の近くに(滝清水神社方向)、我が家の畑が今も有る。戦前であるがそこからは「煉瓦工場」の煙突が見えた。また晴れた春、その左側遠方には岩手山がまだ雪化粧すがたも。
賢治の詩「春と修羅 第三集」の「煉瓦工場」に関連して、小澤俊郎氏の「煉瓦工場」や木村東吉氏の「・・・-煉瓦工場によせる心象を中心に」等がある。拝読していていくつか感じたことがあるのですが、そのことについてはいつか記すことにして、ここでは当時の岩手日報の記事を紹介したい。
岩手日報 大正10年1月1日 朝刊 22頁
大正8年9月5日 朝刊2頁6段目 大正9年3月29日 朝刊2頁8段目
(オマケ)大正15年8月13日 朝刊3頁8段目
北ニケンクワヤソショウガアラバ
ツマラナイカラヤメロトイ つたかどうかは解らないがこんなことがあった時代でした。
(どこかにこのことに関連して記したことがあったが、機会があったなら続きを記す)