宮澤賢治全集「十字屋版」の各版の発行日を「検討」するのに、「別卷」からはじめたい。
「発行日の混迷ぶり」はなぜ生まれたのだろうか。そして如何様な意味を持つのだろうか。私は次のように考えている。
受容史研究のみならず世の人々に「驚きと感動」を与えた宮澤賢治全集十字屋書店版は、ここで述べるまでもなく戦前戦後にかけて私どもにはかりしれない宝珠文を著わしてくれた。この刊行の意義は少なくない。
財団法人宮沢賢治記念会から出た「修羅はよみがえった」のなかで杉浦さんは、「十字屋版」初版発行の期日を記している。そのなかで
別卷 書簡 昭和十九年十二月 (前後略)
としている。私の管見では「十字屋版 別卷」初版は何れも昭和十九年二月である。二版以後に記載されている初版期日も、同じく二月である。大山さんの「報告」の表にも、各版の「 / 第一版発行・昭和十九年二月二十八日」として二例記されている。(第三版・昭和二十七年七月三十日 / 第一版発行・昭和十八年二月二十八日になっている)「堀尾青史 宮沢賢治年譜」でも『宮沢賢治全集(全六巻別卷一)六月~十九年二月、十字屋書店刊』としている(文芸読本 宮沢賢治 河出書房新社)。問題は初版の奥付であるが、参考のため写真で示してたが、十二月の十を砂消しのようなもので消した跡が見られるのである。明らかに二月としたいための行為と見られる。
ところで「記念会」から出版された「修羅はよみがえった」の歴史的な著書に、杉浦さんの記された「十二月」には何か意味が隠されているのかもしれない。知りたいところである。
つづく
①お礼としての宮沢家の行動は、わたくし個人の知っている範囲では「印税、版権」ではなく、「これはこれ」としてどなたにでも金銭でなされたと思っています。③宮沢家では、本を出版する事とは自主出版でお金が入用とされていたので驚いたのであろうと云う事と思う。それから
藤原嘉籐治は著作権・版権を無断で自分勝手になされる様な人では決して無いと思います。(法的自覚者です)
また私が所蔵しているもう一冊の校訂版(第二版)の別巻は
昭和十九年二月二十八日 第一版発行
昭和二十七年 七月三十日第二版発行 となっています。
当ブログ(2010年03月27日「謎の十字屋書店版」)以外は小生には解りません。
杉浦さんの「一部訂正コメント」にありますが「なぜ戦時中とはいへ料亭{浜作}での最後の編集委員会までの期間が開きすぎたのかは不明」です。
宮澤賢治の友 「かとうじ物語」もご参照ください。