ロゴス古書

 年年歳歳 花相似たり
 歳歳年年 人同じからず 

蓼(たで)食う虫も好き好き

2011年05月17日 | 随想・日記

   

 

 賢治の蔵書にもあった「図鑑」です。

 賢治研究会での読書会で、「すかんぽ」の話題があった由。 スカンポ→すいばとあった。

スカンポはすいばで間違いはない。しかしわたくしは、

 賢治のスカンポは、いたどり(虎杖)だと思う。

     

上記図鑑でも、すいばを、一名 すかんぽとある。間違いではないが いたどりもすかんぽと言う。花巻地方では。

 最近はどうか知らないが、写真で見られるように、いたどりの若芽は、和竹のたけの子の様に太くこの若芽を、繊維質の皮を剥いて口にした。

    matsu_chanさん。
  酸い葉ですもの。すっぱくて、シャキシャキした食感でしょうか。
  最近の子どもは食べないのでしょうね。(^_-)-☆
  おいしくて、楽しいのに。                 コメント(4)コピーです。

 最近の「図鑑」や「広辞苑」には多種にわたり両「者」の説明が有る。ややこしい限りである。

何時頃であるのか 植物図鑑にはJaponic  になっているが、かっては上記の「図鑑」でも見られるように Makino であった。 まあ細かいことはやめよう。

 賢治の心象風景であるのだから何方も如何様に詠まれても好い。吾輩のように想うのも良いと思えた。蓼食う虫である。

 

 


パウル・ダールケ 佛教の世界観

2011年05月10日 | 随想・日記

       

      

 この著書については、秋枝美保著『宮澤賢治の文学と思想』と宮沢賢治研究Vol.16(2006)水野達朗氏「『春と修羅』の世界観とダルケ受容」に詳しい。

  水野氏によると、  

国立国会図書館で調べると、確かにドイツ語原書が「大正二年」に帝国図書館に購入されていた 

 {97頁下段}という事です。

 時期的には,秋枝氏は上記の翻訳書を読んだとされ、水野氏は原書を読んだろうとされている。詳細は両氏の論考をお読みいただくとして、宮沢賢治とダルケに関しては、非才のわたくしには荷が重すぎるので、まったくここでは賢治と無関係なことを記す。

 秋枝氏は、龍谷大学図書編『佛教学関係雑誌論文分類目録』等で、ダルケ記事を詳細に調べられておられた。そして高桑純天の上記の本の訳された経緯までも調べられている。余談だがこの翻訳者を、わたくしは戦後「主体性論」?で有名だった高桑純夫と勘違いをしていた時期もある。{ある図書館ではこの本の訳者を今でも高桑純夫と記しているところもある}

 先ずこの「佛教の世界観」を開いて、率直に言ってまあ何て酷い訳だろうと思った。わたくしにはとてもじゃないが読みにくく苛立つ本であった。内容に付いて秋枝氏の論を読み、やっと教えられて成程と思ったものである。水野氏も「この訳書には誤訳や意味不明な訳も多いが、細かにあげつらうことは控え、論旨に関連する場合のみ、」と書かれているが、わたくしにはこんな寛容さは持てなかった。誤訳のせいかまったく酷い本である。

   

  第三章 科学と人生観 一 科學の立場  中程にオストワルド著「化学の学校」の例証がある。物質の性質と、物質の本質との化学の学び方の例を取り上げている所である。

 どんな物質でも形や硬さ・色・重さ等をそなえているが、それを取り去ったならば、はたして物質の本質が残るでしょうかとの質問をしている。それに対して何物も、ある性質によって知るのであって、何の性質もない物は無いのであって、化学において性質の無い物は取り扱えないのだ。と

 それについてダルケは、性質を取り除くと物が無だ! だから吾々は、何物かが存在していると認識するのは、ただ性質に依ってだけである。君は物の性質以上、高次的で更にk本質的なものが何かあるだろうといふような考えを棄てなければならない。と。しかしオストワルドはその後に次のような言葉を語っている。吾々がいつも問題にしているには物の性質で決してその「本質」ではないのです。と。化学は物の性質を解明していく學であるので、物質の存在の学問ではないし、この科学は非道徳的でも、非宗教的でもないのである。

 これも余談であるが オストヴルド著 都築洋次郎訳  『化学ソ学校』  岩波文庫 2342-2344 

   昭和15年5月28日 発行  が有る。

 近代文芸における佛教の西欧的受容に、一般の人々に深い印象とひろい感化を及ぼすという点では、 文芸作品は哲学書にまさっているといわれていますが、東洋に対する関心と憧憬はイギリスの詩人アーノルドによって急速に高められたといわれている。詩人イェーツもウパニシャッドに関心をもち、ウパニシャッドの翻訳を行っている。次第に西洋に知られるようになった佛教思想は、とくにドイツ文学に影響を及ぼしたといわれる。(三井光弥「独逸文学に於ける仏陀及び佛教」昭和10年)詳細は専門家にお任せするとしても、ショーペンハウアーやマウトネルもその一人といわれている。ハンス・ムッフは医学者であるが、佛教運動を行い、また佛伝小説三部作・「ブッダ出家篇」「覚者の帰郷」「ブツダの世界」は、彼の詩才が讃えられているという。

 また輪廻思想も西洋文学のなかに導きいれられたという。十九世紀後半ばになると輪廻を意味するサンスクリット語samsaraは、西洋語の一つとなり、ヨウロッパ各地に流行していた神秘主義の影響を受けて、輪廻文芸と呼ぶべきものが多く著されているそうである。この世における事件は、じつは過去世の業によって定められているものであるということを主題としているのである。佛教精神みちあふれたゲレルブの伝説小説「巡礼カーマーニータ」長編小説「世界をさまよう人々」、ダインハルトの「業」は、この部類に属するものであり、ドイツにおける佛教運動の中心的指導者であったとされるダルーケも『宿命の書』(Das Bbuch Pubbeniuāsa,Buddhistiscne Wiedergeburstseschien,1919)という短編小説を刊行しているという。それは輪廻の渦巻きのなかに流転する各人物の過去世からの運命を物語ったものだという。

 ドイツにおける近代派の文学運動の先駆者の一人であった佛教信者カ-ル・ブライブトロイは、国民生活の指導原理として、佛教にまさるものはないという見解をもっていたといわれている。「ロベスピエールよりブッダまで」という歴史的心理的研究は、この思想を系統的に論述したものであるが、かれの戯曲「業」は回教王に圧迫された佛教徒の悲劇を問題とし、戯曲「救世王」は、理想的救世王としてのアショーカ王のすがたを描いているという。

 ひとによって佛教は理想の宗教であるから、世界創造神を認めず、霊魂不滅を説かず、固定的な実体の存在を否定する。神々があるとするも、それは輪廻の範囲に存する。そして佛教は人間至上の宗教であるとし、「人間」を全宇宙の上におき、人間自身を救世主とする。いまやここでは「神」は、数千年来占めてきた王座を完全に「人間」にゆずりわたした。人間は思索し意欲する存在として単にこの地上のみにとどまらず、全宇宙の中心点であるとなす思想は、ドイツ佛教文学、特に輪廻文学の発達に貢献するところが大であったとされている。