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 年年歳歳 花相似たり
 歳歳年年 人同じからず 

十字屋書店版ふたたび

2010年03月01日 | 随想・日記

 

  『(財)宮沢賢治記念会 「修羅はよみがえった」 宮沢賢治没後七十年の展開』が出版されてから二年以上になる。多記にわたりこの本に教わることが多い。しかしいくつか疑問も感じられる。一つだけ記す。

 宮沢賢治全集 十字屋書店版の完成時期に付いて、栗原・杉田両氏は昭和十九年二月(58頁・157頁)とし、杉浦・大山両氏は十二月完成(178頁・484頁)としている。以前から話題のところである。

 わたくしのところにある「別巻」初版(奥付写真)は、「十二月」の所を砂消しゴムか何かで消された痕がみられるが、第二版・第三版等の奥付にはすべて第一版の記載は二月になっている。

 「昭和二十年一月、銀座の料亭「浜作」において出版の完成し終えた最後に編集委員会が行われた」とあるが、十九年の二月では、何故翌年の一月なのかはについては、いかに戦時中とはいえ説明に窮する。

 今回も二月説が妥当か十二月説が正しいのかはみられなかった。


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4 コメント

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十字屋版全集別巻発行日 (杉浦 静)
2010-03-11 17:21:51
十字屋版全集別巻の発行日について、『修羅はよみがえった』の「文圃堂版全集・十字屋版全集・組合版文庫」における記載、「昭和十九年十二月」は誤りです。正しくは、お書きになっているとおり、「昭和十九年二月」です。確認した複数の別巻に、発行月を「十二」と印刷して砂消しのようなもので「十」を消しているものがありしかも消しが薄かったので、過ったものです。二月が正しいことは、「昭和十九年五月十一日」付「出版弘報」掲載の「配本済書籍一覧表」(自3月11日~至3月31日)に配本指令を発した書籍の一冊として掲げられていることからも裏付けられます。
 お詫びして訂正をお願いします。
 なお、どうして「十二」と誤植したのか、ずいぶん考えたり、印刷関係の人に聞いたりしているのですが、納得いく説明が付きません。どうしてですかね。
 
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コメントお礼 (ヤジュル)
2010-03-27 10:54:32
  杉浦様
 お礼・大変遅くなりました。ごめんなさい。
やはり二月でしたか。「出版弘報」にあったなら間違い無いでしょう。
 それにしても、料亭「浜作」での出版完成祝いが、翌年の一月になったのが「どうしてでしょうかね」。
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『宮澤賢治全集』十字屋書店の「藤原」の検印について (石川朗)
2015-12-24 10:14:04
私最近『宮澤賢治全集』(第1巻~別巻)十字屋書店の昭和27、28年版の検印が「藤原」のものを5,6例ほど立て続けに目にして驚いて少し調べてみました。
岩手県立図書館  蔵書15冊中 5冊
盛岡市立図書館     10冊中 3冊
 〃  都南図書館    7冊中  2冊
花巻市立図書館 26冊中  1冊
私と周辺    22冊中  7冊
計    80冊 18冊(22.5%)
 実に世上に出回っている20%強が「藤原」印ということになります。藤原印は27,28年版は全て但し第5巻を除いて)。
なにかもっと確かな「藤原」印の根拠をご存知ありませんか。
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『宮澤賢治全集』十字屋書店の「藤原」の検印 (石川朗)
2015-12-24 10:21:55
私最近『宮澤賢治全集』(第1巻~別巻)十字屋書店の昭和27、28年版の検印が「藤原」のものを5,6例ほど立て続けに目にして驚いて少し調べてみました。
岩手県立図書館  蔵書15冊中 5冊
盛岡市立図書館     10冊中 3冊
 〃  都南図書館    7冊中 2冊
花巻市立図書館    26冊中 1冊
私と周辺    22冊中  7冊
計    80冊 18冊(22.5%)
 実に世上に出回っている20%強が「藤原」印ということになります。藤原印は27,28年版は全て但し第5巻を除いて)。
なにかもっと確かな「藤原」印の根拠をご存知ありませんか。
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