ロゴス古書

 年年歳歳 花相似たり
 歳歳年年 人同じからず 

豊澤川

2009年06月17日 | 随想・日記

 

    南部叢書

  考るに、花巻といふ所に豐澤川といふ川、膽澤川のこなたにあり。もしはもと遠膽澤川と呼びしを、トイザハ、トヨザハ語近ければ、後の世に豐澤の文字とせしにやあらん。今豐澤とはかけど、猶所の者はトイサと唱ふるは古語の残れるにはあらぬか、膽澤川に向へて名づけしにはあらぬか。これら誠におしはかりの考なれど、後考ん人の為いさゝかおどろかし置なり。

 

 さて、ところで宮沢賢治の生家の トシャコ ヲズ(豊澤小路)は、遠い胆沢の小路ではありませんが、 古来からの川等の命名になごりをとどめているのであろうか。古代胆沢はときの支配者の前進基地の砦でもあった。

  同じ書に

 岩井 伊澤 柄差(エサシ) 江刺と同じ  和賀 部貫(ヘヌキ) 今の稗貫なり

との語が視られる。また

 稗貫郡は、今花牧といふ所にあり。   薭縫 稗技 部貫 などあれど、皆同し名なるべし。

   上記は 「舊蹟遺聞 巻第二」の部よりです。

 

 滝清水神社の下 豊沢川土手から賢治自耕地あたりまでを「北上夜曲」を歌いながら歩いていた町の青年がいたが、我が家からは夕靄の川の先に胡四王山が見られた。また天気の良い日にはその先に早池峰山が・その姿が偶に夢に出て来る。


多田等観展

2009年06月05日 | 随想・日記

 

                        花巻で多田等観展を開催

 以下は岩手日日新聞社の記事です

 

    多田等観とチベットと花巻と 6日から企画展~市博物館 (06/04)

 花巻市博物館の企画展「多田等観とチベットと花巻と」は、6日から花巻市高松の同館で開かれる。チベット仏教学者の多田等観(1890~1967年)にスポットを当てた企画で、同博物館の開館5周年記念も兼ねる。単身チベットに渡り、チベット仏教を修行した等観が、日本に持ち帰った仏像や経典などを公開する。

 同館による多田等観展は、シリーズ6回目となる。等観は1913(大正2)年から約10年間、チベットでダライ・ラマ13世の庇護(ひご)の下で修行を積み、帰国の際は多くの仏典、書籍などを持ち帰り、チベット仏教研究の国際的権威と言われた。

 戦時中は、実弟の住む花巻に経典などを疎開させたことから、貴重な資料が花巻に残された。今回の企画展では花巻の一燈庵での暮らしぶりをはじめ、秋田市にある生家や千葉県市原市の自宅からの所蔵品も一般公開する。

 展示は約130点で▽等観の生涯▽チベットでの生活▽花巻と等観-など五つのコーナーを設ける。仏像、仏画、著作などのほか、等観が旅行用に使った革製バッグ、チベット国内の霊地巡礼や帰国の際にお守りとして身に着けたというダライ・ラマ13世制作の懸仏(かけぼとけ)なども初公開する。

 同展は7月12日まで。6月13日は記念講演会も開く。期間中は無休。開館時間は午前8時半-午後4時半。入館料は小中学生150円、高校生・学生250円、一般350円。問い合わせは同館=0198(32)1030=へ。

【写真】企画展「多田等観とチベットと花巻と」のポスター
 
 お時間が有りましたなら
こちらもどうぞ ⇒ 多田等観展

机上の二冊の本

2009年06月01日 | 随想・日記

 

       古い話題で恐縮です。賞味期限が切れているかも知れない話です。

 「科学社会を通して宮沢賢治の世界をかいま見る」と題して 「イーハトーブ館企画展示 13 」(1999年7月1日~12月27日)が行われた事がある。

 企画監修  力丸光雄

 主   催  宮沢賢治イーハトーブ館

         宮沢賢治学会イーハトーブセンター

  この展示で気になっていた事があった。途中からの以下の記である。

 

【 『物理化学』・『科学書』

 物理化学(理論化学)は、19世紀終り近くに確立した化学の分野である。賢治作品に出てくるアレニウスやファント・ホッフなどもこの分野で大きな頁献があった(二人ともノーベル化学賞受賞)。

 賢治が読んだ『化学本論』は、日本で最初の本格的な物理化学の教科書であったといってよい。

 物理化学の基礎は、もちろん物理学である。賢治がいつも机上に置いていたという『物理学汎論 上・下』と『化学本論』は、当然重複するところがある。とくに、当時は原子の構造がわかりかけて来たところで、両書ともこの分野での最新の知識を載せている。】

 上記コピーでのなかの「賢治がいつも机上に置いていたという『物理学汎論 上・下』」という事の資料の出所は何からであったのかである。賢治実弟静六氏の「兄賢治の生涯」では、「兄の机の上にはいつも化学本論上下と、国訳法華経が載っていて、」とある。

 ところで「化学本論」は、上下二冊で出版された事はないのである。

 力丸氏は、日下部四郎太著「物理学汎論」を会場に展示されたのか如何かは解らないが、この本は確かに物理学(物理化学ではない)の「基礎」(?)を記した書ではあが、著者の意図は地球物理学を主眼にした内容のものである。日下部は「岩石の力学的研究」岩石の弾性に関する研究で学士院賞を受賞しているのであるが、氏のこの著書は数学的解説を主体とした「汎論」と言える内容であったのではなかろうか。

 昨年 賢治研究会の研究発表で、ある先生が「物理学汎論」上下二冊を発表の中でお話をされていた。出所をお聞きしましたなら、センターの「企画展示」での資料との事だった。

 力丸氏の論考でもう一つ述べておこう。

 力丸氏の「X への手紙」で

 『賢治が学生時代に講話を聞いた願教寺の島地大等師というのは、高名な仏教学者でもあったわけですが、彼のような大物をこの盛岡に置いたのは、隠し念仏に対するおさえだったらしいです。』

 と記されていますが、補者 島地大等 「佛教辞林」 には、「いあんじん 異安心」の項に「十刧秘事・御庫法門・地獄秘事」等の語句は見られるが、東北の隠し念仏については見当たらない。又 『「真宗大綱」 第五章 異安心論』にも、「仏光寺派・西山派や諸邪義」に付いて述べられているが、残念ながら隠し念仏には触れておられない。

 隠し念仏については、いろいろと書かれているのを拝見するが、賢治との関連での言は余程確かな記載は残念ながら少ないように思う。