ロゴス古書

 年年歳歳 花相似たり
 歳歳年年 人同じからず 

仰臥三年

2008年09月14日 | 随想・日記

 

 

       忘れないうちに

 賢治蔵書(60) 仰臥三年

 近藤常次郎  明三六・九・五  博文館  菊版  定価金35銭  二三八頁 

 

 宮沢賢治 「春と修羅 第三集」の活躍時代に読まれたのであろう。

  (「宮沢賢治の読んだ本」のたに


アッ~ ”松蘿” ーサルヲガセー

2008年09月14日 | 随想・日記

 

    「サルオガセ」 ←(こちらをクリックして見てネ)

 

  ひさびさに遭った。子供のころに出会ったきりだった。

 修羅ではなく松蘿である。

でも少しは修羅を連想させられるかな

   (わたくしだけかもしれない)

 

 賢治蔵書の「日本植物図鑑」地衣類トップにでている。

   (なんと言ふしろものだ)

    (何年もそう思っていた)

 

 日本薬報社「邦産薬用植物」{昭和三年五月発行}に

  ヤマトサルヲガセ  ミヤマサルヲガセ が

    [ 生薬 ] 松蘿が記載されている。

 

 こちらは少々下世話な話

  「女のヒステリーと男の浮気止めに薬効あり」と??????。

   (そんな話をきいた聞いた)

 

ついでにGoogleで見たらあるわ有るわ、

でも、私のような変な考えする人はいなかったようだった。

       (この記は後で消去しよう)


土壌学講義

2008年09月12日 | 随想・日記

 

 奥田弘「宮沢賢治の読んだ本ー所蔵図書目録補訂ー」(日本文学研究資料新集26 栗原敦編 宮沢賢治)の蔵書番号と併記してみると、次のようになる。

 27(5) 28(4) 30(7) 38(6) 39(3){カッコ内は前回記入図書番号}

 奥田の目録には、十一例のうちの五例のみが有るが、番号対応の無い六例の本も賢治は読んでいたことが見られる。

 追記に栗原敦氏の教示によるとされている32日本植物図鑑索引42頁が41頁になっているがこんなことは、どこにでもあること、わたしなどは人様のことをとやかく言えたものではない。50化学本論については以前記したのでここでは省略するが、写真の39大工原銀太郎著土壌学講義について、「宮沢賢治の読んだ本」の備考欄には「下巻国会図書館にはない」奥田は記している。この下巻は東京大学や北海道大学の図書館にも無さそうである。

 ところで現在はパソコンで簡単にいろいろなことが調べられる。だが以下のことについては如何ように判断したならばよいのであろうか。「中卷例言」に「土壌膠質化学・土壌改良論・土壌鑑定要項・土壌分類学等は之を下巻に譲ることとせり。」とある。大正八年の著者の識である。著者は昭和の時代まで活躍をされた方である。上記の内容の書が有ったならば、賢治の農家に対しての相談事務所にはなくてはならない書であったろうと思われる。このことについてはまたのきかいにしたい。


自然環境事始のころ

2008年09月12日 | 随想・日記
 宮沢賢治の「東北砕石工場関係稿ー肥料用炭酸石灰ー」(校本宮沢賢治全集第十二巻下)を見ていたら、次のようなことに心が引かれた。
 「-農業上石灰の効用ー」(246頁~)には「大工原博士 土壌学講義 中卷」が多く引用されているのにである。それから大工原は「微生物の働きに依る土壌中有機物の分解」に早くから注目した一人であることにである。上巻の後半は「土壌微生物」の項目を設けてこれに多くを費やしている。

 写真の服部のこちらの本「大地の微生物」は昭和四十年代にでたが、土壌微生物による自然環境をふまえてとりあげた一般向けの研究書で、印象深かった思い出の本であった。深刻な公害問題がとりざたされてきたころであったのである。

 私は関豊太郎の「土壌学講義」を見ていないので良く解らないのだが、賢治は炭酸石灰については大工原銀太郎の「土壌学講義」に多くを学んでいたのであろうと思っている。賢治晩年の座右の本の一冊であろうか。

 ここにこのころの引用著書(読んだ本)を拾ってみると次のようである。

 1 松村舜祐    食糧研究 第六十七号
 2 小野寺伊勢之助 肥料学教科書
 3 大工原銀太郎  土壌学講義
 4 永井威三郎   日本稲作講義
 5 川瀬惣次郎   肥料学
 6 関豊太郎    土壌学講義
 7 工藤技師    稲作肥料設計法(岩手県立農事試験場)
 8 坂本謙平    (稲の生育と肥料吸 収状態)
 9 田崎桂一郎   園芸肥料の知識
 10内田郁太    実験葡萄栽培法
 11冨樫常治    実験果樹園芸
  ざっと以上である。
           つづく