ロゴス古書

 年年歳歳 花相似たり
 歳歳年年 人同じからず 

虚無思想研究

2010年05月30日 | 随想・日記

 

  賢治の作品 冬 (幻聴) と 朝餐 が虚無思想研究に掲載されたのは、大正十四年十二月と同十五年一月号です。

 わたくしは虚無思想も、また辻はどんな人なのかをあまりよく知らないのですが、今は便利です。PCで経歴が簡単に知ることが可能です。たとえば1例ですが

   辻潤 

色々なかくどから調べられます。ですからこのロゴス古書では全てに解説は必要が不要です。

 過っては学校の図書館を使用出来ない小生は、何かを調べるには一苦労でした。二・三日前の朝日新聞に「 自動書庫 図書館に続々 機械が本を出し入れ 100万冊でも分類不要 」こんな見出しをみました。

 近所の図書館で、国立国会図書館の図書でも、貸出図書であれば、日にちがかかるそうですが、受け付けてくれて借りられるとの事、ロゴス古書存在不要です。

 横道にそれました。辻に少しふれて閉じましょう。

 春秋社版「世界大思想全集」29(昭和3年)に、辻が

  スティルネル著 辻潤訳  唯一者とその所有

                   芸術と宗教

  プレカアノフ著 辻潤訳   無政府主義と社会主義

 この本の「読者のために」と題してアナーキズムの解説やスティルナーの「人間篇」「自我篇」の思想的意味を記しています。「唯一者とその所有」は片岡啓治訳もあるが、辻の訳が時代を感じさせていて、わたくしは好きだったような思い出があります。でも今は何も覚えて居りません。

             

 


西福寺

2010年05月30日 | 随想・日記

 

 昨日は東京も寒い一日でした。自転車で我が家から十五分程のところに染井の里があります。運動不足解消のために出かけて来ました。

 写真は西福寺の本堂の左前にあります石塔です。

 西福寺は染井の植木屋の菩提寺として有名ですが、江戸時代の庭師伊兵正武の墓があります。その斜め前にひっそりとよその墓に隠れて辻潤の墓があります。

    つづく


賢治とチランチン

2010年05月30日 | 自然科学

 

 

 花巻農学校教諭時代の宮沢賢治に、花巻の米穀肥料商 八重樫次郎の依頼によって以下のような実験報告書が提出されているのがあります。

 

  「水稲苗代期ニ於ルチランチンノ肥効実験報告

 大正十四年本校試作地ニ於ケルチランチンノ水稲苗代期ニ対スル肥効実験ノ成績左ノ如シ

 一、チランチン使用区ハ対照不使用区ニ比シ種籾腐敗少ナシ

 二、チランチン使用区ハ対照不使用区ニ比シ発育一般ニ旺盛ナリ

 備考 一、更ニ水耕法ニヨリテ定量的試験ヲ行ヒ右結果ヲ確定スベシ

     二、右耕種概要左ノ如シ

         供用品種 陸羽一三二号

         撰種 比重一・一三塩水撰

         浸種 四月十一日ヨリ同十六日ニ至ル

         チランチン使用期日 四月十七日

         芽出シ 四月十七日ヨリ同廿日ニ至ル

         播種期 四月廿一日

         播種量 一歩五合

         肥料 一歩宛窒素十二匁 燐酸十匁 加里九匁 原肥

         管理 初メ廿日間水掛引

  大正十四年六月十三日

                     花巻農学校  

                           宮沢賢治

 八重樫次郎殿

 

 

 「チランチン」には以前から気になっていたのですが、これに関連して以下のような記事がありました。興味深く読みましたので、少し長いのですがコピーでご覧戴きたい。

 

 農薬掲示板の「農薬ニュース議論レス【3】より 

488 : 零細農薬卸    2007/08/28(火) 09:10:11  
新聞記事文庫 農産物(2-053)
大阪毎日新聞 1925.6.1(大正14)

 
薬を用うると野菜は四割の増収

水菜の如きは八割五分増

チランチンの実地試験

--------------------------------------------------------------------------------

限りある土地から、より以上の農作物を収穫することの出来る化学薬品「チランチン」がドイツで発明されてわが国でも現に大阪府下三島郡春日村下穂積で実地に試験している。
本山本社長は三十一日同薬品販売会社々長小田氏等に案内されて視察した
チランチンに種子をひたし、陰ぼしにして後、播種すると、種子についているバイキンを殺菌し適度の刺激を与えて発芽機能を促進し作物のねばりをよくし、
茎を丈夫にし、発育に要する栄養分を充分に吸収せしむるので馬鈴薯などは肌が美しく肉質がちみつになり、大根の如きもヂヤスターゼを多分に含んで甘味が多くなって、
同農場及び農務省農事試験場九州支場等の実験成績では田畑一反歩につき米は二割、裸麦は四割二分、甜瓜一割四分、体菜四割九分、
トマト四割二分、南瓜四割五分、里芋二割五分、ホーレン草六割四部、水菜八割五分、蔬菜類は平均四割以上、稲麦作で二割以上の増収となつている
この薬が発明されたのは欧洲大戦中で発明心に燃ゆるドイツ魂がついにリービッヒ博士をして発明せしむるに至ったのである。
以上は神戸大学図書館の資料です。
同時代、宮沢賢治が この剤の試験を小売店の依頼で実施している事が
宮沢賢治記念館のパネルで紹介されております。
彼は石灰による土壌改良にも取組んでおりました。というより
石灰のセールスマンもやっておりました。広義では業界の先輩でございます。 

  

 

 校本全集の校異に 「〈前略〉 チランチンは、当時、ドイツから輸入された種籾等植物種子の消毒剤である。後、毒性が強いため販売中止になった。〈以下略〉」 と説明されています。賢治のこの依頼報告書は、他の在学時提出論等に比してあまり関心をひかれない感があります。

 当時の状況は、コピーでお読み頂いたように概略が解りますが、もう少し具体的な面を見てみたいと思います。

 依頼した八重樫氏は、写真のような宣伝用パンフレットをおそらく見たのでしょう。

    広告サイズ 195×270

     つづく


 肥料學

2010年05月28日 | 随想・日記

 

      写真は

 川瀬惣次郎著 肥料學 明文堂 大正十三年六月十日 再訂三版発行

   

  肥料學  目次

  第一編 肥料學総論・・・・・・・1-80

  第二編 動物質肥料・・・・・・・81-229

  第三編 植物質肥料・・・・・・・230-341

  第四編 鉱物質肥料・・・・・・・342-598

  第五編 雑質肥料・・・・・・・・・599-656

  第六編 肥料學餘論・・・・・・・657-725

 

 川瀬の肥料学は、ご覧のように第四編の鉱物質肥料に多くの頁をさいています。賢治の「肥料用炭酸石灰」に肥料学・「参照 578頁」とありますが、この頁には 「第十一章 石灰質肥料 第一節 石灰石 第二節 生石灰」等がみられます。

 またこの本の自序には、鈴木梅太郎博士の「植物栄養論講義」及び麻生慶次郎博士の「肥料学講義」に有益な示唆をえたと記されています。賢治の「孔雀印手帳」四〇頁に「麻生博士ー桑葉中灰分・・・」とあるメモは、麻生慶次郎博士のことでしょう。

 鈴木博士は、明治三九年欧州留学から帰朝、その後大正六年まで盛岡高等農林学校の教授をされていた。関教授といい賢治にとっては、勉学には恵まれた環境であったと思います。


賢治のつめくさ

2010年05月24日 | 随想・日記

 

 つめくさはナデシコ科の草のことですが、宮沢賢治の使うつめくさは、牧草地に生えるマメ科のシロツメクサ〈クローバー〉のことです。

   小さなぼんぼりのやうな花。

   まるで本当の石英ランプでできている。

 などと記されている花のことです。

 また、「春と修羅 第一集と第三集」におなじ題名の「休息」(1922,5,14・1926,8,27)がありますが、第三集の「休息」には、写真(向かって左側の絵)のような「あかつめくさ」が詠まれています。

 この写真は、「宮沢賢治の読んだ本」(27)にあります 川瀬惣次郎著 「肥料学」の「第二章 緑肥」からの写真です。

 川瀬のこの「肥料学」の「第三篇 植物質肥料」には、マメ科植物のあかつめくさ等を推奨しています。

 賢治晩年の東北砕石工場用の石灰推奨チラシの「肥料用炭酸石灰」に、博を付けその重要性を示すため、多くの研究著書とともに利用されている一冊の本です。その本のなか(232ノ2頁)の写真です。

    (つづく)


花巻文化財調査報告書より

2010年05月09日 | 随想・日記

 

 世界には約140種類のフクロウ・ミミズクが存在するそうですが、島のフクロウならぬ「花巻ふくろうの会」の島二郎氏から

「・・・・材木町住居の最後の作品となることでせう」と、前書きに卒寿記念だと書き添えられた書面と「花巻文化財調査報告書」が送られてきた。

花巻市の庚申塔 第十五報ー鍋倉前村庚申講と共に三十年ー」なる論考が載せられている。

 上記の写真は、山の神さんに建立された七庚申石塔の部である。

 「文字 宮沢賢治「雨ニモ負ケズ」手帳より拡大複写、手彫り刻字{石工 駅前大通り 阿部石材店}」とある。島氏は、「-手彫りの美を探してー花巻 碑 いしぶみ 」を平成六年にだしているが、「機械彫りになり、生きた文字の石塔が消えていく」のを歎いておられた。

 島氏は、石仏の研究のみならず、多くの文化活動にも誠心誠意を尽くして来られた。フコロウの会もそうだが、現在の宮沢賢治学会が出来る前には、賢治精神高揚のために照井謹二郎氏と共に活躍をされて来たが、氏のフットワークの良さには感服の至りである。

 「清水寺研究会」をたちあげられて、三大清水寺の一つであるといわれる「花巻清水寺」の研究に情熱を燃やして取り組んでいたこともある。「清水寺研究」は古刹文書特楫を合わせて計約600頁にも上る研究の集大成が為されている。

また、こんな事もあった。

 

  清水寺研究会           2002年10月吉日

   会長 島 二郎様

拝啓 

錦秋の候、皆さまにはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。

さて、今年8月キャラバン2002では、大変にお世話になりましてありがとうございます。

「音楽家になった喜びがわかるよ」 というスラバ(ロストロポーヴォチ)の言葉で始まったキャラバン、今回で四度めでした。スラバ、学生たちと岩手、秋田を回り、音楽をお届けできた事は、音楽家になって本当に良かったと思える日々でした。

多くの方々にサポートしていただき、現地では心温かな対応をして下さいましたことに、あらためて、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます  

                    敬具。

   小澤征爾

 

 このときの集会での警察からの警告 後に氏との一杯の時の苦労話が懐かしい。

 

 (表題の書 小生への謹呈とある。 有難く拝受 お礼を申し上げます。)