夢夢散歩♪

自然の写真を中心に、日々の出来事を綴ります。

またまた京都③

2006年02月14日 |     (近畿)
大報恩寺(千本釈迦堂)

北野天満宮から徒歩10分くらいの所にあります。
ここは「おかめ塚」が有名です。
この日は寒かったので、少し雪をかぶったおかめ像です。

このお寺の本堂を建てる時、洛中洛外に名の聞こえた高次という人が総棟梁に選ばれ、造営工事は着々と進んでいました。
ある日、高次は誤って四天柱の一本を短く切り落としてしまいました。心憂の毎日を過ごしている夫の姿を見た妻のおかめは、「いっそ、斗きょうをほどこせば」と助言しました。
柱を四本とも短くし、斗きょう(組み物)をほどこし高さを合わせてはどうかという事です。
(斗きょうとは? http://www.matsuri.gr.jp/daiku/k_takumi_masugumi.htm

その着想が成功に結びつき、見事な大堂の骨組みが出来上がりました。
しかし、おかめは上棟式を待たずして自刃してしまいました。
「女の提言により棟梁の大任を果たしたと世間にもれきこえては… この身はいっそ夫の名声に捧げましょう」と決意したのです。高次は上棟の日に、おかめの面を飾り、冥福と大堂の無事完成を祈ったそうです。



アドバイスをしただけで命を絶たなければいけないなんて、なんという時代だったのでしょう?
アドバイスさえも出来ない時代だったのでしょうか。
どう考えても、なぜ死ななければいけなかったのか、今の時代から考えると、考えられない事です。



その本堂です。
正式名は大報恩寺(だいほうおんじ)ですが、千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)の名で知られています。
藤原秀衡の孫である義空上人(ぎくうしょうにん)が、この地に釈迦念仏道場として一仏十弟子像を安置したのが起こりと言われています。
現在残っている本堂は1227年に建立したもので、応仁の乱をはじめ幾度の災難をのがれた京都市最古の仏堂遺構で、国宝に指定されています。

2月にはおかめ節分会が行われます。
私が行った日は節分会の翌日だったので、後片づけをされていました。下にはピーナッツが落ちていました。

吉田兼好の徒然草228段には
「千本釈迦念仏は 文永の比 如輪上人 これを始められけり」
とあります。
3月には釈迦念仏教経奉唱が行われます。


コメント (6)
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