いよいよ今回の京都行きのハイライトになります。
まずは、JR山科駅より南西へ2.5キロ 名神高速道路を潜った京都盆地の南東高台に位置する『山科一之宮 岩屋神社』の紹介です。
ここは、かつて背後の山腹(牛尾山)にある陰陽二つの磐座を拝していたと由緒を伝え以前より訪れて見たかった一社でした。
しかし、京都市内でもかなり不便な立地にある当社 車で行ければ簡単なのでしょうが、我々は基本公共交通機関利用と徒歩移動がメインとなります。
そんな方の為に、アクセス方法からご紹介したいと思います。
アクセス手段はいくつかありそうですが、今回我々が選んだルートをご紹介します。基本は電車+バス+徒歩になります。
まず起点はJR(市営地下鉄東西線)山科駅となります。
JR山科駅 特徴あるドームが目立ちます。
ここからバス(京阪バス21号(大宅-山科)大宅行き)に乗車します。
岩屋神社バス停で下車します。(山科駅より14停留所 所要時間20分ほど)
バス停から見える山は「大宅御所山」磐座がある「牛尾山」はこの右手になります。この左隣の地域は「大塚大岩」と言って地名に「大岩」が付く事からこの辺りの山中にも謂れとなるような巨石があるのでしょう。
下車してから岩屋神社までは、徒歩で10分ほどです。
《参考》
ちなみに一の鳥居は降りたバス停から一本西へ入ったところにあったようです。
名神高速道を潜ると参道石段があります。
岩屋神社に到着です。ここは、二ノ鳥居になります。額束に屋根が付いてます。
割拝殿 中央が開いています。
拝殿
祭祀:
・天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
・栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)
(高皇産霊命の女、天忍穂耳命の妃で饒速日命の御母である。別名万幡豊秋津師比女(よろずはたとよあきつしひめ)ともいい、織物に功績著しい神様で、機織り染め物関係の守護神として崇敬される)
・饒速日命(にぎはやひのみこと)
由緒:本社の根源は、奥之院、また岩屋殿と称する本社後背山の山腹に座す陰陽の両巨巖である。これは今日の社殿様式のように、定まった参拝設備のなかった時代の石座信仰の名残であり、発祥は仁徳天皇三十一年と伝わる。後年宇多天皇の御世寛平年間に陽巖に天忍穂耳命を、陰巖に栲幡千々姫命を、また岩前小社に大宅氏の祖神として饒速日命を祀る。約一千百有余年前のことである。その社殿は治承年間に園城寺僧徒の焼くところとなり、旧記も共に失う。弘長二年に至って社殿は再建され今日に至る。現存する古代木製高麗狛は当時のものである。
また、中世に東・西・上の岩屋三社と呼ばれた神社は、東が当社であり、西が山科神社、上は不明である。(岩屋神社公式HPより)
また、中世に東・西・上の岩屋三社と呼ばれた神社は、東が当社であり、西が山科神社、上は不明である。(岩屋神社公式HPより)
由緒にある岩屋三社のうち山科神社は、ここから西へ2.8㎞ほどの位置にあります。では不明の「上岩屋」とは、果たして何処でしょうか?
一説には、四ノ宮中在寺町の諸羽(もろは)神社とする説があるようです。
背後の諸羽山には「白岩」と言う巨石群があり確かに気になるところです。
マップを見ていて気になったのが岩屋神社より1.5㎞北へ行った場所に岩屋神社のお旅所(山科区大塚西浦町)があります。
わざわざこの場所にお旅所を置いたという事は、かつてこの地に何かしら祭祀するものがあったという事です。それは巨石(磐座)かも知れませんし、もしくはご神木だったかも知れません。(と、言って調べていたところまさにビンゴ!現地に楠がご神木として立っていました。)
ちょっと興味を持ったのでWEB検索してみたところ…。
やはり考察されている方がいらっしゃいました。
☞関連サイト:岩屋三社の謎 --山科を守る磐座たち--
こちらの情報によれば、山科区御陵別所町にある妙応寺に岩屋神社の祠が祀られているという有力情報がありました。
もともとは、このお隣の天智天皇陵に祀られていたものをここへ遷座したと言うのです。 これは、もうあきらかではないでしょうか?
さて、岩屋神社境内から陰陽岩が祀られている奥の院への行き方ですが、少々分かりにくいので以下に写真を掲載しておきます。参考になさってください。
境内を出ると奥之院への標識があります。
道沿いに登って行くと川崎大師京都別院 笠原寺へと至る赤い欄干の橋が見えて来ますが更に登っていきます。
二つ目の赤い欄干の橋を渡ります。
行場の横を更に登って行きます。
舗装された道に出ますが横切って奥之院への参道標識がありますので、ここを登っていきます。
《参考》
※ ちなみに車でこの麓まで来られそうです。
奥之院へ至る参道のすぐ下に路駐とはなりますが駐車出来そうなスペースがあります。
こちらは、下から見上げたところになります。
この奥は突き当りになりますので邪魔にならない辺りに置けそうです。
(Googleストリートビューより)
(あくまでも路駐になりますのでで、この辺りは自己判断でお願いします。岩屋神社にも駐車場はありますが、ここまで登ってくるのは結構キツイです(^^; まだまだ、この先あります。)
瓦礫がけっこう足に刺さりますので、靴はスニーカーなどでは無くそれなりの靴を選んだ方が良さそうです。
もうひと踏ん張りです。
奉納鳥居を潜って行きます。
ようやく奥之院へ到着です。ここまで、岩屋神社境内より30分くらいでしょうか。
こちらが「陰岩」になります。
こちらには「栲幡千々姫命」が祀られています。
岩の組成はチャートと思われます。
更にこの上にある「陽岩」へと向かいます。
こちらには、天忍穂耳命を祀っています。
陽岩
別の場所にあった巨石 こちらも組成はチャートと思われます。
奥之院由緒:
奥之院は、本社を距たる数百米の後背山に座す陰陽の両巨巌で、宇多天皇の御世の寛平年間に(約一千年前)陽巌に天忍穂耳命、陰巌に栲幡千々姫命、岩前の小社に饒速日命を祀った別名岩屋殿なる神域である。石座信仰からすれば、奈良地代以前に遡る古い信仰形態である。近年氏子崇敬者の尽力によって漸次参道等も整備され、数十基の鳥居が奉納されて『神増其威依人』を具現している。(岩屋神社公式HPより)
WIKIには「岩前の小祠に饒速日命が祀られた。これは、物部氏系の大宅氏が、山科を開拓するに当たり祖神を祀ったものである。」とあるのですが岩屋神社の由緒には、そのことには触れておらず少々気になる一文です。
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