今回は、甲府南インターより北へ5キロほど行った住宅街に鎮座する甲斐国開闢の由緒を持つ笛吹市石和町に鎮座する佐久神社の紹介です。
同じ社名を持つ佐久神社が甲府市曽根丘陵公園の南側にもありそちらも式内社の論社と言われ同様な由緒を伝えています。
佐久神社石鳥居
参道
狛犬1対
舞殿
拝殿 向きは南西方向 曽根丘陵近くにある佐久神社方向へ向いています。
本殿 三間社流造、正面に唐破風付き向拝を設け檜皮葺(県指定有形文化財)
祭祀:天手力雄命 、磐裂神、根裂神(合祀)
由緒:社記に曰く、雄略天皇元年三月二十七日勧請、醍醐天皇の御宇延喜年中当国二十座の式内社に列せられる。又曰く、上古当国が湖沼なりし時、天手力雄命が大岩を裂いて水を涸らし現在の地となしたので、当国開梱の祖神として一国の中央の当地に奉斎す、と。社頭に中心の要石あり。本殿は文久二年に改築、昭和三十三年山梨県有形文化財に指定されてゐる。 (山梨神社庁より)
創建は雄略天皇元年(457)に磐裂神、根裂神、天手力雄命の分霊を甲斐国の中心地である現在地に勧請したのが始まりと伝えられています。
甲府盆地には湖水伝説なる伝承がありこの佐久神社も湖水伝説に深く関わっている一社で甲斐国開闢の祖神と言われています。
ロマンのある伝承ではありますが、この湖水伝説は甲府盆地形成の堆積物などから地質学上では否定されているそうです。
現地案内板(写真クリックで拡大)
以下に甲府盆地湖水伝説を紹介します。
昔、甲府盆地が一面の湖水であったころ、一人の地蔵様が、この水を除きたいと二人の神様に相談をかけた。二神も賛成して一人の神が山の端を蹴破り、他の神が山を切り穴をあけて、湖水の水を富士川へ落とした。これを見た不動様も河瀬を造って手伝ったので、この二神二仏のおかげで甲府の土地が現われた。山を切り穴をあけた神は、今甲府の西に穴切神社として祭られ、山を蹴破った神は蹴裂(けさき)明神として知られている(こちらより引用)
・地蔵→国母地蔵((伝)東光寺の稲積地蔵)
・二神→磐裂神、根裂神
・蹴裂明神→天手力雄命(佐久神社 主祭神)
本殿周囲には見事な彫刻が施されています。
文久2年(1862)に、改修されたものだそうです。
現地案内板
もうひとつここには「要石」が祀られています。
要石 拝殿前に祀られ円柱で、高さ80センチほど 鹿島、香取神宮のものと比べて存在感があります。
甲斐国中央の標目(目印)と 伝わりますが要石と言えば鹿島、香取神宮を筆頭に、全国で見られるその役目は大地よりの災いを抑え込む封印の意図の方が強いと思われることから、やはりここの要石も同様な目的で祀られているものではないかと思われます。
丸石道祖神 台座には猿田彦大神とあります。
こちらは、なんでしょう?台座には「疫神斎」とあります。
自分は、石灯篭の柱の一部と想像しています。
施された図案から凸部分が石灯篭の燈明部分のほぞ穴に刺さりこの上に載るのではないかと思っています。
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