以前、もう10年以上前になるだろうか超歴の個人研究で“江戸五色不動探訪”なる報告をした。
今読み返してみると、当時かなり入れ込んでいた荒俣宏の“風水先生”や嘉門七海の“東京魔方陣”などの風水や陰陽道関連に感化されて、あっちこっちのサイトを見てはパクリまくりで今となっては間違えだらけの文章でお恥ずかしい限りなのだが、五色不動とは、早くても明治以降、人々の信仰の中から派生した事実が判ってきた。
五色不動を紹介している看板等を読むと“如何にも”と、言う様な能書きが書いてあるのだが
少なくとも江戸時代には「その様な信仰はなかった」と、言うのが今では定説でそれが真相のようだ。
言わば“都市伝説化”された内容だったのだ。
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これが、都市伝説を造ったトンデモ看板(サムネイルをクリックして拡大)まことしやかに書かれているが、五色不動に、天海僧正など全く関わっていないのが真相らしい。
このあたりを非常に丁寧に、詳細に考察されているサイトがあったので、興味の或方は是非一読を
まぼろしの五色不動
五色不動 WIKI
(前述の江戸五色不動探訪を会のHPに掲載した時には、こんな詳細に記述されていたサイトは皆無だった。当時怪しい文献や五色不動を題材にしたゲームの影響が大きかったのは事実)
で、今更感はぬぐえないのだが、五色不動尊の中でも“目黄不動”と“目青不動”だけは他の目黒、目白、目赤と比較して異色な不動尊である事が気になっていた。
それとて、前述のHPでは、見事に謎解きをされていたので、ここで改めて述べるのも何だかおこがましいのではあるが拙著のラストで述べた“街道守護”からの視点での考察が無いのが少々残念なところ。
少なくとも、目黄不動と言われる平井の最勝寺の縁起には、以下の様に記述されている。
最勝寺不動堂に安置される不動明王は、天平年間(729-766)に良弁僧都(東大寺初代別当)が東国巡ようの折、隅田川のほとりで不動明王を感得され、自らそのお姿を刻んで本尊とし一宇の堂舎を建立されたのに始まる。
その後、当寺の末寺東栄寺本尊として祀られ、徳川氏の入府により将軍家の崇拝するところとなった。殊に三代将軍家光の崇拝は厚く、江戸の町を守らしめるため、仏教の大意にもとづいて江戸府内に五色不動をもうけた。五色不動は方位によって配置して方難除けとし、又、江戸に入る主要な街道筋を守らしめ、江戸の町を守護せしめた。当寺の不動明王は、この時より目黄不動と称され広く信仰された。
明治の神仏分離により、東栄寺は廃寺となり、目黄不動明王は本寺最勝寺に遷座され、これより当寺は「明王院」と号し今日にいたる。(最勝寺縁起より)
もともと本尊のあった“東栄寺”は、東駒形にあって“水戸街道”の近くに存在していた。
三ノ輪の永久寺も日光街道脇にある。
ここらへんは、以前より温めていた研究テーマでもあり、現地調査なども行っていたのだが結局そのままお蔵入りのネタになっていた。どなたか(他力本願だが)もう少し掘り下げてゆくと、新しい発見があるかも知れない。
WIKI等にも書かれているように“目黄不動”だけは、メインで取り上げられている二寺院以外にも、なぜか多数存在している。
以下は、その後日調査時に撮りだめた写真のスナップである。
(いかんせん10年くらい前のネタなので撮影した時と現在とでかなり時間差がある事はお断りしておく)
目黄不動尊(天台宗 永久寺)台東区三ノ輪(撮影2004年5月)
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モダンな本堂と可愛らしい不動堂 ちなみに前述の拙著には、建て替える前のスナップを掲載している。
目黄不動尊(天台宗 最勝寺)江戸川区平井(撮影2001年6月)
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JR総武線平井駅からかなり歩かされた。写真を撮っていたら「本堂にあがってお参りして行きなさい」と、声を掛けられた記憶が蘇る。
目黄不動尊(天台宗 真覚寺)昭島市玉川町(撮影2003年3月)
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本来の寺自体は、文化8年(1811)の多摩川の大洪水により流失。本尊阿弥陀如来坐像、 目黄不動明王、 阿弥陀如来立像と墓石塔類が残り、かろうじて寺族達が守り伝えていたのが昭和62年不動堂を建立し現在に至る。
(伝)六軒町の目黄不動(真言宗 不動院)東京都港区六本木(撮影2005年5月)
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クリックして拡大
六本木の喧噪から路地をひとつ入ったところにある。近くには、あの!伝説のニューハーフバー「六本木金魚」がある。
由緒を読んでいると“目黄不動”だけは、当時の人々の信仰心から派生した事実が判る。
(伝)三番目の目黄不動尊(黄金目不動)(臨済宗 龍巖禅寺) 東京都渋谷区神宮前(撮影2005年6月)
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檀家さん以外入れなさそうな禅寺 札所なんだからもう少し開放して欲しいところ。ここは名所図会にも描かれているのだから。
三番目の目黄不動と伝わるが、御朱印にもある様に、ここのお不動様は、黄金の目を持っているらしい。ここから目黄不動伝説が派生した可能性も否定できない。一度じっくり拝顔してみたいものである。本堂の前にある宇賀神の由緒などが非常に気になるところ。
今となっては、都市伝説化とした“五色不動”そもそも風水体系自体も日本独自の派生で、ガラパゴス化していると聞く。
巷に溢れかえるその様な怪しい伝説。胡散臭い占い師。トンデモ伝承。ネタとしては、大変面白いし今でも興味のある題材ではあるが、それらに振り回されず真実を見極める眼をいつも持ち続けて行きたいものである。
今読み返してみると、当時かなり入れ込んでいた荒俣宏の“風水先生”や嘉門七海の“東京魔方陣”などの風水や陰陽道関連に感化されて、あっちこっちのサイトを見てはパクリまくりで今となっては間違えだらけの文章でお恥ずかしい限りなのだが、五色不動とは、早くても明治以降、人々の信仰の中から派生した事実が判ってきた。
五色不動を紹介している看板等を読むと“如何にも”と、言う様な能書きが書いてあるのだが
少なくとも江戸時代には「その様な信仰はなかった」と、言うのが今では定説でそれが真相のようだ。
言わば“都市伝説化”された内容だったのだ。
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これが、都市伝説を造ったトンデモ看板(サムネイルをクリックして拡大)まことしやかに書かれているが、五色不動に、天海僧正など全く関わっていないのが真相らしい。
このあたりを非常に丁寧に、詳細に考察されているサイトがあったので、興味の或方は是非一読を
まぼろしの五色不動
五色不動 WIKI
(前述の江戸五色不動探訪を会のHPに掲載した時には、こんな詳細に記述されていたサイトは皆無だった。当時怪しい文献や五色不動を題材にしたゲームの影響が大きかったのは事実)
で、今更感はぬぐえないのだが、五色不動尊の中でも“目黄不動”と“目青不動”だけは他の目黒、目白、目赤と比較して異色な不動尊である事が気になっていた。
それとて、前述のHPでは、見事に謎解きをされていたので、ここで改めて述べるのも何だかおこがましいのではあるが拙著のラストで述べた“街道守護”からの視点での考察が無いのが少々残念なところ。
少なくとも、目黄不動と言われる平井の最勝寺の縁起には、以下の様に記述されている。
最勝寺不動堂に安置される不動明王は、天平年間(729-766)に良弁僧都(東大寺初代別当)が東国巡ようの折、隅田川のほとりで不動明王を感得され、自らそのお姿を刻んで本尊とし一宇の堂舎を建立されたのに始まる。
その後、当寺の末寺東栄寺本尊として祀られ、徳川氏の入府により将軍家の崇拝するところとなった。殊に三代将軍家光の崇拝は厚く、江戸の町を守らしめるため、仏教の大意にもとづいて江戸府内に五色不動をもうけた。五色不動は方位によって配置して方難除けとし、又、江戸に入る主要な街道筋を守らしめ、江戸の町を守護せしめた。当寺の不動明王は、この時より目黄不動と称され広く信仰された。
明治の神仏分離により、東栄寺は廃寺となり、目黄不動明王は本寺最勝寺に遷座され、これより当寺は「明王院」と号し今日にいたる。(最勝寺縁起より)
もともと本尊のあった“東栄寺”は、東駒形にあって“水戸街道”の近くに存在していた。
三ノ輪の永久寺も日光街道脇にある。
ここらへんは、以前より温めていた研究テーマでもあり、現地調査なども行っていたのだが結局そのままお蔵入りのネタになっていた。どなたか(他力本願だが)もう少し掘り下げてゆくと、新しい発見があるかも知れない。
WIKI等にも書かれているように“目黄不動”だけは、メインで取り上げられている二寺院以外にも、なぜか多数存在している。
以下は、その後日調査時に撮りだめた写真のスナップである。
(いかんせん10年くらい前のネタなので撮影した時と現在とでかなり時間差がある事はお断りしておく)
目黄不動尊(天台宗 永久寺)台東区三ノ輪(撮影2004年5月)
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モダンな本堂と可愛らしい不動堂 ちなみに前述の拙著には、建て替える前のスナップを掲載している。
目黄不動尊(天台宗 最勝寺)江戸川区平井(撮影2001年6月)
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JR総武線平井駅からかなり歩かされた。写真を撮っていたら「本堂にあがってお参りして行きなさい」と、声を掛けられた記憶が蘇る。
目黄不動尊(天台宗 真覚寺)昭島市玉川町(撮影2003年3月)
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本来の寺自体は、文化8年(1811)の多摩川の大洪水により流失。本尊阿弥陀如来坐像、 目黄不動明王、 阿弥陀如来立像と墓石塔類が残り、かろうじて寺族達が守り伝えていたのが昭和62年不動堂を建立し現在に至る。
(伝)六軒町の目黄不動(真言宗 不動院)東京都港区六本木(撮影2005年5月)
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六本木の喧噪から路地をひとつ入ったところにある。近くには、あの!伝説のニューハーフバー「六本木金魚」がある。
由緒を読んでいると“目黄不動”だけは、当時の人々の信仰心から派生した事実が判る。
(伝)三番目の目黄不動尊(黄金目不動)(臨済宗 龍巖禅寺) 東京都渋谷区神宮前(撮影2005年6月)
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檀家さん以外入れなさそうな禅寺 札所なんだからもう少し開放して欲しいところ。ここは名所図会にも描かれているのだから。
三番目の目黄不動と伝わるが、御朱印にもある様に、ここのお不動様は、黄金の目を持っているらしい。ここから目黄不動伝説が派生した可能性も否定できない。一度じっくり拝顔してみたいものである。本堂の前にある宇賀神の由緒などが非常に気になるところ。
今となっては、都市伝説化とした“五色不動”そもそも風水体系自体も日本独自の派生で、ガラパゴス化していると聞く。
巷に溢れかえるその様な怪しい伝説。胡散臭い占い師。トンデモ伝承。ネタとしては、大変面白いし今でも興味のある題材ではあるが、それらに振り回されず真実を見極める眼をいつも持ち続けて行きたいものである。
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