さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

さっちゃんは野菜や果物の名前と姿を覚えてるんだろうか? と僕は思っちゃいました

2021-11-20 22:09:50 | 言語リハビリ
今週も月曜日の言語リハビリの報告を土曜日に書いています。
もう少し早く書きたいですね。
何をやったかとかは、メモを取っているので大丈夫なのですが、さっちゃんへの印象とか微妙な僕の思いとかはほとんど忘れてしまうので・・・・

今日はさっちゃんが認知症になってから、さっちゃんが家に居ない初めての日です。
今朝10時半ころ、ショートステイのスタッフさんが迎えに来てくれました。
さっちゃんは何も知らずに車に乗って行きました。
いつもと違う場所、いつもと違うスタッフさん、いつもと違う利用者さん達、さっちゃんは戸惑ってるでしょうね。
いま夕方5時、「もう帰らないのかなぁ」とか、さっちゃんは思うのでしょうか?
いつもなら、さっちゃんと散歩に出ている時間です。
そんな時間帯に、こうやってブログを書いている。
僕にとっても、いつもとは違う日。
居るべき人が居ない日。
するべきことをしなくてもいい日。
自分の想いの中で穏やかに過ごせる反面、どこかぽっかりと心に穴が開いた感じがなくもありません。

さて、言語リハビリの記録を書き止めておきましょう。

まずはいつも通りバイタルを計りました。
体温36.7度、SpO₂95、血圧119~94、脈拍74。
SpO₂がちょっと低かったですね。

Y田先生が新しいカードを持って来ました。
その中から3枚のカードをさっちゃんの前に並べます。
カードのサイズはハガキより少し小さいくらいでしょうか。
(ピーマン トマト ブドウ)の3枚です。
「写真なんですか?」と僕が聞くと、「絵なんですよ」とY田先生。
写真と見紛うほどの本物そっくりな絵です。
確かに写真よりは色が圧倒的に鮮やかですね。

すると、そのカードの半分以下のサイズの別のカードをY田先生は出します。
ピーマンの小さなカードを見せて、「これはどれかな?」と聞きます。
さっちゃんは出来ません。
質問されていることが分からないのか、質問の内容が分からないのか、質問は分かっても答えが分からないのか、答えは分かっても手が動かないのか・・・・
結果的には、さっちゃんは答えられなかったのですが、何故答えられなかったのかもY田先生や僕にも分かりません。

同じ問いかけをトマトでもブドウでもします。
さっちゃんは答えられません。

別の絵に並び替えました。
(バナナ、リンゴ、ナス)です。
同じことを繰り返しました。

僕のメモに読み辛い下手な文字でこんなことが書かれていました。
「上手くは出来ないが、出来ない理由は何だろう?」
「分かっているような気もする」

この僕のメモの意味はこうなんでしょうね。
質問の意味やどう答えるべきなのかは分かっているけど、言葉に出して答えられない。
さっちゃんを見ていて、そんな雰囲気を僕は感じたんでしょうね。

同じ絵を絵合わせするのは終わって、次にはその野菜や果物の名前を発声するレッスンに入りました。
Y田先生が手を取り、肩を叩いてリズムを作りながら一緒に発声しようとしてくれます。
でも、さっちゃんは出来ません。
ただ、「ナス」はそれらしく言えたかな?
「ピーマン」もそれらしく言えたかな?
Y田先生も僕もさっちゃんに発声してもらいたくて仕方がありませんから、聞こえる音にかなりバイアスがかかっていると思います。
さっちゃんは何やらいろいろと喋っていますから、その中から「ナス」や「ピーマン」と聞こえる部分を切り取って聞いてしまいがちです。

そして、僕は素朴な疑問を覚えました。
「さっちゃんはこれらの野菜や果物の名前や姿を覚えているんだろうか?」
さっちゃんはトマトもブドウもバナナもナスも普段よく食べています。
でも、その元の姿を見ることはありません。
スーパーへ一緒に買い物へ行くことも、もう1年以上はないと思いますから、野菜や果物を見るチャンスもありません。
家でも、料理をほんの一部でも手伝うこともなくなりました。

旧約聖書の『創世記』には最初の人間であるアダムがあらゆるモノに名前を付けるエピソードが出て来ます。
ひとつのモノに対応してひとつの名前が付けられます。
人間にとってモノに名前があることは人間の活動と切り離せない根源的なものであることをこの聖書の記述は示唆してるんだと思います。
その根源的な部分がさっちゃんには欠落しつつあるのではと思えるのです。
モノの姿と名前が結び付かないのですから。
アダムはモノの姿をよく観察して、相応しい名前を付けていったわけですからね。
さっちゃんの脳の中ではモノの姿とその名前がどのように結びついているのでしょうか?
あるいは、どの関連が外されたり消えたりしているのでしょうか?

最後はいつものように歌です。
1曲目は「ふじの山」:頭を雲の上に出し~
2曲目は「シャボン玉」:シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ~
3曲目は「里の秋」:静かな 静かな 里の秋~
4曲目は「旅愁」:ふけゆく秋の夜 旅の空の~


4曲ともさっちゃんは唄ってくれました。
Y田先生も「今日は一緒に唄ってくださる比率が高いですよ」と言います。

さっちゃんは言語リハビリが始まる前はどうだったのか、言語リハビリの最後の方はどうだったのか、5日も経つと覚えていません。
微妙な雰囲気はすべて忘れてしまっています。
早く書かなきゃですね。



▲16:17。言語リハビリが終わってしばらくしてから、さっちゃんと僕は掛かり付けのお医者さんに行きました。薬をもらいに行ったのです。往きの時にはすでに陽が沈みそうでした。帰路は多摩川沿いの公園の中は街灯もなく真っ暗なので、少し遠回りになりますが、住宅街を通って帰りました。
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