先月の3月5日、さっちゃんが災害医療センターに救急搬送された日。
その日、僕はさっちゃんの生殺与奪の権を委ねられてしまいました。
突然のことですから、僕にはさっちゃんを助けたいという選択肢しかありませんでした。
そんな重苦しい感情や決定を体験した日の夕刻、S﨑君から電話が掛かって来たんです。
6年間何の音沙汰もなかった相手から、よりによってこんな悲惨な日に電話が掛かって来るとは!
スマホ越しのS﨑君の声がイエス様かお釈迦様の声のように響いていました。
長く喋った後は僕の心も相当軽くなっていたのを覚えています。
その日のブログです。
さっちゃんの最期へのカウントダウンが始まってしまった、と思いました
そもそもS﨑君が電話をして来た理由は「一緒に岩トレをしよう」という目的でした。
ですから、翌週の3月13日に日和田で岩トレをしたんです。
その記録を『ザイルと焚火と焼酎と』にやっと載せました。
気が向いたら、そちらも読んでみてください。
6年ぶりのS﨑君と日和田で岩トレして過ごしました
▲15:37。S﨑君(左)と彼の職場の後輩のK森さん。これから懸垂下降をします。
その日、僕はさっちゃんの生殺与奪の権を委ねられてしまいました。
突然のことですから、僕にはさっちゃんを助けたいという選択肢しかありませんでした。
そんな重苦しい感情や決定を体験した日の夕刻、S﨑君から電話が掛かって来たんです。
6年間何の音沙汰もなかった相手から、よりによってこんな悲惨な日に電話が掛かって来るとは!
スマホ越しのS﨑君の声がイエス様かお釈迦様の声のように響いていました。
長く喋った後は僕の心も相当軽くなっていたのを覚えています。
その日のブログです。
さっちゃんの最期へのカウントダウンが始まってしまった、と思いました
そもそもS﨑君が電話をして来た理由は「一緒に岩トレをしよう」という目的でした。
ですから、翌週の3月13日に日和田で岩トレをしたんです。
その記録を『ザイルと焚火と焼酎と』にやっと載せました。
気が向いたら、そちらも読んでみてください。
6年ぶりのS﨑君と日和田で岩トレして過ごしました
▲15:37。S﨑君(左)と彼の職場の後輩のK森さん。これから懸垂下降をします。