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みやこ海風だより

市議会報告からNPO活動、海を活用したまちづくり、文化創出のまちづくりをベースにしたつぶやきです。

新巻き鮭

2008-12-01 19:28:03 | まちネタニュース
鮭は捨てるところはなく、全て食べることができる魚だ。江戸時代は南部鼻曲がり鮭として幕府にも献上されている。
宮古湾の鮭漁も最盛期を迎える。そしてまちでは新巻き鮭が天日で乾燥されている風景も見かける。
そんな新巻き鮭を作る市民向け講習会がこのほど行われた。有名な鮭博士のN先生の指導のもとで行われた。
先生の指導を受ければ日本一の美味い新巻き鮭が作れる。
今度は自分も挑戦してみようか。

新巻き鮭は岩手独自の加工法で、北海道にはない。新巻きとは江戸に運ぶ時、新しい縄に換えて、献上したことに由来するという。

あのスーパースターが

2008-09-17 10:12:31 | まちネタニュース
 ロック界のスーパースター矢沢永吉。我々の時代にはキャロルとして一世を風靡したあの矢沢永吉が宮古に来ていた!それもすぐ目の前、リアスハーバーにモータークルーザーで来ていたのだ。
そうとはつゆ知らず、1度ならず2度までもリアスハーバーにその足跡を残していたのだからびっくり。ハーバーでは誰1人としてその姿を見ることは出来なかったが、その真相を確かめるべくその時の状況を振り返ってみる。

 先週の日曜日(7日)に、東京から大型の豪華モータークルーザーがリアスハーバーに突然、入港してきた。大雨の降る日だった。ヨット以外のゲストボートが入港するのは珍しくないが、そのボートだけはなんか従来のセーラーたちが乗る雰囲気とは多少違っていた。あまり船のことが詳しくないようだし、ハーバーの場所が分からないと再三電話が入った。ならばこちらのボートで迎えに出ますとハーバー職員が言うと頑に、「来なくていい」と拒否。
 やっとのことハーバーに接岸したが、給油や水補給などの要求も、どこかセーラーの感覚と全く違っていた。
 ボートの中には何人かいるらしいのだが、入港手続きなど行う若者の二人以外は決して姿を見せない。二人だけがボートに行ったり来たり、さらに携帯電話で中から指示を受けているようだ。
 そして街まで行くためにハーバー職員にタクシーを頼んだが、それまた要求がセキュリティー云々で桟橋ギリギリまで車を着けろなど、とにかく注文がうるさかった。何?セキュリティーって。あんたたち誰なの?セーラーであればこんなことは絶対にない。やっぱり何か変だ。

 そしてタクシーに何人かが乗り込み街に向かっていった。後に、実はその中にスーパースターがいたのが判明。
 我々は2階の研修室で会合をやっていたので、その姿を見ることはなかった。もちろん本人がいることは知る由もなかったから。
 スーパースターはこの日、パークホテルに宿泊。ボートには若者だけが残っていた。そして翌日、朝一番で出港。北海道を目指していったのである。
 タクシー運転手がパークホテルまで本人を乗せたことから、この事実が分かり徐々に話が広まったのだ。

 ところが、またそのボートが13日に宮古に戻ってきた。その時もハーバーにはスーパースターが乗っているとの情報はまだ伝わってはおらず、この日もパークホテルに泊って翌朝、出港していった。出港の際、関係者の車もハーバーに来て、そのクルーザーを見送っていた。一緒に来ていた女性たちがクルーザーを運転していた人が振り返って手を振っていたのに歓声を上げていた事を、ハーバー職員が不思議そうに見ていたらしい。一体誰なの?って。

 その豪華ボートの写真はハーバーのギャラリーにしっかりと飾られている。。本人はもちろん写ってはいないが。。。 



ちょっといい話

2008-07-29 22:45:44 | まちネタニュース
 本日の朝刊に、落石がJR山田線を塞いだのを近くの住民が身をていして列車を止め、事故を未然に防いだことが載っていた。列車は急ブレーキをかけわずか1メートル手前でストップ。間一髪で惨事には至らなかった。
 とてもいい話だ。住民の勇気にも感謝したい。
 ところで、この陰には新聞には載らないまたもう一つのいい話がある。
 列車内には12人の乗客がいた。中には妊婦もいた。この落石のため列車は1時間半もその場所に停車。タクシーが代行として来る予定だったが、なかなか来ない。復旧も進まず、すでに辺りは真っ暗で乗客にも不安と焦りが出始めた。
 その乗客の中に、今夜(29日)宮古でコンサートを行うドイツから来た「ケルン放送弦楽団トリオ」のメンバー3人もいた。場所は先の岩手北部地震の震源地に近い。なかなか来ない代行に不安が募る乗客らの様子に、少しでも不安を取り除いてやろうと、このトリオのメンバーが列車内で急きょミニコンサートを行ったのだ。
 メンバーの日本人でドイツ在住の水間さん(ファゴット奏者)が、ハーモニカを取り出し日本の曲を披露。さらにドイツ人のクラリネット奏者が加わり,ジャズを即興で演奏。また日本の歌を乗客らと一緒になって歌うなどして約30分、列車内はさながらコンサート会場になった。乗客たちは突然の演奏に大感激。
 「不安が募る中で、ひとときの安らぎを与えてくれたことに感謝している。演奏も素晴らしかった」と乗客の一人は語っていた。
 このトリオの演奏も心温まる好意として、ちょっといい話ではありませんか。


 そして今夜、市民文化会館ではこのトリオのコンサートが行われ、多くの市民が一流の演奏に酔いしれたのは言うまでもない。

牛乳ラーメンとチョウセンアカシジミ

2008-06-25 22:15:20 | まちネタニュース
 本日は田野畑村へ。そろそろチョウセンアカシジミが羽化するというので、このチョウの専門家であるOさんの道案内で行って来た。宮古市の天然記念物にもなっているこのチョウは、岩手では宮古、田野畑、普代、野田?久慈?あたりと、山形県と新潟県の一部にしか生息していない。特にここ田野畑村が一番数が多いようだ。それもそのはず、地元の人たちがこの珍チョウを保護しようといろいろ努力しているからだ。やはり日本で最初に発見された地だけあって、地元の人たちの意識も高い。
 発祥は文字通り朝鮮半島。氷河時代の大陸が続いていた時に日本に渡ってきたもので、今は上記の地域にしか生息していない本当に貴重なチョウだ。岩手県ではレッドデータブックのBランクに位置づけられている。
 この日の田野畑の羽化に始まり、宮古地域でもそろそろ飛立つ頃だ。今週の土日は田野畑、宮古(田代)でも観察会が開かれる。わずか10日ほどの命だが、太陽の光を受けて赤く輝きならが飛び交う姿は美しい。
 本日は4頭ほどの羽化を確認。はじめは生息するトネリコの葉の下に隠れていたが、温度が上昇するとともに空中へと舞い上がった。
 久しぶりにカメラでの撮影に成功した。いつも卵の撮影しか出来なかったがラッキーな日だった。本来はすぐアップしたいところだが、データが大きいので後ほどに。

 帰路、昼食はこの村名物の「牛乳ラーメン」を久しぶりに食べた。牛乳ベースのスープだがコクがあって美味しいラーメンだ。一滴も残さずスープを飲み干したが、いやはややはり牛乳だけあって胃の中が温まってきたら眠いは、グルグル鳴るはで一苦労。帰りはたっぷり車の中で眠ってしまった。

 

ヤラメスゲ発見!

2008-06-13 17:35:04 | まちネタニュース
 本日は宮古を挟んで、南は山田の船越海岸、北は田老の山奥へと行ってきた。上下行ったり来たりはかなり疲れます。

 船越海岸に行ったのは、実はヤラメスゲという植物が生育していることが確認されたので、それの説明を受けるために行ってきたのだ。
 植物関係も、ウトイ小生だが、なんか貴重な植物らしい。釜石植物の会の会長さんが案内してくれた。
 カヤツリグサ科スゲ属のもので北海道と東北、北陸地方の高層湿原に生育するものらしい。北方系のもので、それが大平洋岸の水辺に生息しているということは、かなりかなり貴重なもので、ここ船越海岸が南限とされるらしい。
 ヤラメスゲは浜辺の小さな沢が流れ込んでくる雑草地のわずかな場所の中にあった。周辺は海岸工事などが進み、また砂浜も重機などで押し上げられ、これらの植物の生息地も狭められている。恐らく誰も貴重な植物だとは思わないほど、その存在もよく知られていない。研究者も少なく、たまたま植物を調査していた会長さんの目に止まったことで、この存在が明らかになった。絶滅危惧種の一つで、これらの保護をしないと、工事などで瞬時に消滅する恐れがあるという。
 何故、ここに、いつからあるのかは分からない。ただ言えるのは、ヤラメスゲは自分の環境に適した処にしか生息しないことから、環境状態を知る上での大きな指標にもなる植物ということだ。

 これから浜辺を歩く時、このヤラメスゲが生息していないか注意していきたい。ちなみに岩手県内には110種のスゲがあるという。

 

啄木の100年前を訪ねて

2008-04-06 22:21:33 | まちネタニュース
 明治41年4月6日、石川啄木が釧路の新聞社を辞め、船で函館を経て上京の途中、宮古に立ち寄った日である。その日から今日がちょうど100年目だった。その啄木を偲びながら啄木が立ち寄った鍬ヶ崎のゆかりの地を散策するイベントが行われ、それに同行した。
 啄木の宮古寄港は日記にも残されており、その日記を刻んだ漁協ビル前の「啄木寄港の地の碑」から散策は始まり、啄木が立ち寄ったという銭湯やうどん屋の名残のある場所から、知人からの紹介状をもって訪ねた道又医院などを約2時間かけて歩いた。とても気候もよく、絶好の散策日和。これで桜が咲いていたら言う事はなかった。
 ただ啄木が来た100年前はあまりいい気候ではなくガスがかかっていたようだ。日記には「沈んだ、かびの生えたような空気に充ちてる』と書いているが、その日の空模様によってはそのような、ちょうど裏町のような雰囲気も漂いがちな、狭い街筋であっただろう。
 しかし鍬ヶ崎のまちは、海岸通りは埋め立てられ当時とはもちろん大きく様変わりしているが、どこかに啄木の足跡を感じる風情が今なお漂っていた。

毛ガニまつり

2008-02-18 21:54:44 | まちネタニュース
 今年で6回目になる宮古毛ガニまつりへ昨日行ってきた。カニと言えば北海道のイメージだが、宮古産毛ガニだって負けてはいない。三陸で水揚げされる毛ガニは今が旬で、宮古が全体の半数を占める。
 この冬の味覚をたっぷり味わってもらおうと観光協会が主催しているが、会場の宮古魚市場特設売り場には県内外から1万4千人以上が訪れていた。格安で販売されているカニを買い求めていたほか、カニ汁、カニ飯など各種カニ料理に舌鼓を打っていた。カニの競り市では沢山の人が市販の半値価格で競り落とすなど会場は大盛り上がり。 カニの一本釣りにも沢山の人がチャレンジし、大物をゲットしていた。
 でもカニを食べると何故か皆、無口になるんだね~。

 




元気なコミュニティ百選に

2008-01-29 16:26:40 | まちネタニュース
 岩手県が選定する「元気なコミュニティ100選」に当NPOが選ばれた。このことは以前にも紹介したが、これの認定証の授与がこのほど、リアスハーバー宮古で行われた。とにかく様々な活動を通じてコミュニティの形成や先進的な活動で地域活性化の推進を図ったとして選定されたものだ。県内で77団体が選ばれ、そのうちの宮古市の3団体の一つということだ。
 いずれ多くの仲間や関係者、支援者のお陰と感謝したい。
 これからも皆が、地域が元気になっていくようさらに、さらに様々な活動を続けていきたい。
 

アポルタジュー!

2008-01-26 09:56:09 | まちネタニュース
 今年は戊辰戦争から数えて140年。幕軍の総裁榎本武揚没後100年になる。知り合いを通じてこの歴史に生きた人たちの子孫の会のメンバーから、榎本武揚没後100周年記念事業という大きなイベントをやりたい旨の話があった。
 帆船「あこがれ」をチャーターして、大阪、東京、石巻、宮古、函館、江差、小樽を結んだルートで航海し、幕末維新の歴史を広く紹介していこうというものだ。各地で実行委員会が立ち上がっていて、宮古でもぜひ、と声が掛かった。
 宮古は近代日本の命運を分ける戦いがあった宮古海戦の地。近代日本初の洋式海戦といわれ、幕軍が新政府軍の艦船を宮古で奪うという奇襲作戦の戦いだった。「アポルタジュー」とは幕軍が奇襲攻撃をかける時の合図だ。しかし、戦いは幕軍が敗れ敗走、のちの函館五稜郭の戦争でこの戊辰戦争は終焉を迎えるのだ。

 そんな歴史を今一度振り返りながら、各地での帆船入港のほか各種イベントが展開される。宮古は7月中旬頃に予定されている。まずは多くの海の仲間とともに、実現に向けて準備を進めていきたい。
 
 

黒森神楽とオマブリ

2008-01-04 09:44:30 | まちネタニュース
 宮古市の黒森神社に伝わる黒森神楽。山伏神楽の一種で、伝承では江戸時代初期の発祥と言われている。廻り神楽として約300年前の巡行の記録も残されていて、2006年に国の重要無形民俗文化財に指定された。 
 正月になると神霊を移した「権現様」を携えて旧南部藩領域の沿岸部を廻り五穀豊穣や大漁成就などを祈願する。一年おきに久慈地方までの「北廻り」と釜石地方までの「南廻り」を行う。今年は北廻りの年で、その巡行の舞い立ちが昨日行われた。
 神社での儀式のあと最初の神楽宿となる山口公民館で各種演目を夜遅くまで披露。地元のみならず遠くから訪れた人々を楽しませた。
 巡行で神楽衆が宿に舞い込む時にシットギ獅子を舞う、シットギ舞い込みがある。この時、権現様のオマブリ(お守り)として、このシットギを見物人などの額や鼻筋につけて回る。
 小生も額にこのオマブリ(シットギ)を付けてもらい、一年のスタートを切った。この日集まった大勢の子どもや大人もこのシットギを付けてもらい、今年一年の無病息災を祈願した。
 巡行はこのあと3月まで行われる。歴史とともに歩んできた神楽。時代が移り変わろうとも変わらぬ姿を守り続けているふるさとの芸能。私たちのふるさとに息づく神楽はこれからも永遠に続いていくだろう。

権現様の舞い込み


オマブリのシットギを額に付けてもらう見物人


宿ので夜神楽は延々と続く