月の裏側〜reprise〜

捻くれ者が音楽を語ったらどうにも収拾がつかなくなった件。マニアックな作品紹介と自分自身の音楽関係の思い出話を中心に。

NO.181 ストロベリー・パス「大烏が地球にやって来た日」

2023-08-22 00:08:31 | 日本のプログレ

とりあえず日本のプログレについて書こうと思っていたのですが、

想定外の事ばかり起こって、なかなか書けずにいました。

まずは日本のニューロック期に発売された、日本のプログレの黎明期といえる

この作品から取り上げてみます。

 

成毛滋さんは、かつてフィンガースというGSで「勝ち抜きエレキ合戦」にて

グランドチャンピオンになったくらいの実力派でした。

残念ながら実力はありながら人気は出ず、1969年には解散しています。

「ツィゴイネルワンゼン」をギターで弾く等、テクニックは素晴らしいです。

 

 

その後、ウッドストックを経験した後、ミッキー吉野さんとともに

「10円コンサート」を企画しています。その辺りの交流からか、

当時、パワーハウスで活躍していた柳ジョージさんや、

元ジャックスのつのだひろさんと活動を供にしていました。

やがて柳さんが忙しくなってきたので、成毛さんとつのださんは

二人で行動することが多くなり、

ストロベリー・パスに発展することになります。

 

冒頭の1曲目だけ、ゲストで柳ジョージさんがボーカルで参加しています。

ブルースっぽい感じの曲ですが、

成毛さんによる曲はいい雰囲気が出ています。もう何曲かは、

柳さんのボーカルで聴いてみたかったかな。

 

 

そして特筆すべきは、名曲「メリー・ジェーン」が初めて収録されています。

シングルでも発売されたので、この曲だけは知っているという人も

多いはずです。

 

 

全体的に見れば、プログレ的な要素よりはニューロック的な要素の方が

大きいですが、重要なアルバムとは思いますね。

切り込んでくるような成毛さんのギターと、

叩きつけるようなつのださんのドラム。聴きごたえありますね。

 

ちなみにジャケットは、石ノ森章太郎さんのデザイン、

オリジナルのライナーノートは、景山民夫さんが書いています。 

 


NO.159 四人囃子「’73四人囃子+1」

2023-06-15 08:28:26 | 日本のプログレ

日本のプログレを語る上で、やはり四人囃子は外せないでしょう。

本来なら大傑作である「一触即発」について書くべきでしょうが、

あえて「一触即発」発売前のライブ盤である

「’73四人囃子」を取り上げたいです。

(2024年には「一触即発」発売50周年になるので、

おそらく何かしら記念商品が出るでしょう。その時にしようかと)

 

四人囃子は、レコードデビューこそ遅かったですが、

前身である「ザ・サンニン」が結成されたのは1969年。

この時期はピンクフロイドの影響が強く、

「エコーズ」を完璧に演奏出来たと言われています。

レコードデビュー前はライブイベントに色々参加していたようです。

このライブ盤もその一環で、六本木にあった俳優座で行われたロック週間の

イベントに参加した時の音源です。

(ちなみに頭脳警察との共演も多かったようで、頭脳警察もこのイベントの

別の日に参加していて音源も残っています。)

元々ライブアルバム用の録音ではなく、デモ用に録音されたもののようで、

音質は決していいわけではないですが、精錬される前の「一触即発」の曲が

聴けるのは貴重です。

出来としては、この時期としてはイマイチという意見もありますが、

このライブの時はメンバーが20歳くらいだったことを考えると、

かなりレベルは高かったと思います。

自分的には、これはこれでありとは思いますが。

なお、現在発売されているのは、「泳ぐなネッシー」を追加して

当日の曲順通りにして完全収録されたものになります。

まるでピンクフロイドの「狂気」を意識したかのように、

ライブを重ねて完成度を高めていくかのようにさえ感じます。

そういった意味でも貴重な記録だと思いますね。

 

 

余談ですが、四人囃子のメンバーの交流関係がなかなか面白くて

つい調べてみました。

頭脳警察とは共演が多かった関係で仲が良かったようです。

聖ロック祭というイベントでは、メンバーが合流して演奏しています。

(通称、頭脳囃子)

2000年以降、イベントで共演し、頭脳囃子が復活したこともありました。

「一触即発」を製作する前にレコード会社との契約で映画のサントラを

作りましたが、「夜」という曲の詩を手掛けたのはコンフィデンス時代の

アルフィーの高見沢俊彦さんと言われています。(確認はとれていないです)

遠藤賢司さんの「東京ワッショイ」にも四人囃子のメンバーも参加していますし、

かの、つボイノリオさんの迷曲「金太の大冒険」にも四人囃子のメンバーが

参加していたというのを聞いた時は唖然としました。

個人的には後年、佐久間正英さんが早川義夫さんと結成したユニット、

セシアンが印象に残っています。佐久間さんが亡くなられて消滅したのが

残念です。


NO.147 新●月「新●月」

2023-04-26 00:02:55 | 日本のプログレ

一時期、かなりハマっていて音源を買うだけでなく、

ライブにも通っていた日本のプログレ。

残念ながら今現在はシーンは絶滅状態ですが、

いいグループも沢山ありました。一般的に知名度の低いグループも多いですが、

少しずつ紹介していければと思います。

第1回目としては、やはり自分にとって影響を受けたこのグループからと

決めていました。新●月です。

 

新●月が最初活動していたのが1970年代の終わり、ジェネシスの影響が

大きいと思われるシアトリカルなライブが一部で評判だったようで、

フールズメイト誌にも度々記事が取り上げられたといいます。

そんなこともあって、ビクターにてアルバムを制作することになりました。

今は無き箱根ロックウェルスタジオで200時間以上かけて制作されたといい、

これだけの条件は、四人囃子の「ゴールデンピクニック」ぐらいしかないと

いう事です。じっくり時間をかけて細かい部分まで作りこまれています。

 

新●月というグループが後世に伝えられるのは、傑作「鬼」という曲が

あったからでしょう。

自分を含めて、数多くの人の心に刻みこまれた名曲です。

今まで、東洋的なイメージを感じさせる曲はあったのですが、

(フラワートラヴェリンバンドの「SATORI」等)

これほど日本らしいというか、日本人にしか出せない湿り気のある音というか、

落ち着きのあるプログレの曲はなかったと思います。

CDを買って初めてこの「鬼」を聴いた時の衝撃は忘れられません。

70年代の終わり、まだ当時は家庭用ビデオデッキは殆ど普及していない時代、

プロモーションビデオが作られる等、かなり期待はされていたと思います。

 

 

しかしながら、1970年代の終わりから80年代の初めくらいは、

プログレにとって不遇の時代で発売した時期が悪すぎたと思います。

洋楽では、クラッシュの「ロンドンコーリング」や

ポリスの「白いレガッタ」がヒットする等、パンクやニューウェーブが

注目されていましたし、国内ではニューミュージックの勢力が

強くなりつつありました。

日本のロックは、フリクション等の東京ロッカーズが

マニアの間で注目されていましたし、何より同時期にYMOが活躍し、

当時は斬新だったテクノに可能性を感じられた感がありました。

その為か残念ながら新●月は、内容がよかったにも関わらず、

ヒットするには至りませんでした。

「鬼」以外にも「せめて今宵は」とか名曲もあるのですが…。

 

 

セカンドアルバム用に曲も作成されていたのですが、リズム隊が脱退し、

残念ながら解散に至っています。3曲分作られたプロモビデオですが、

「少女」(少女は帰れない)のみアルバム未収録です。少し毛色が違うので、

その辺りも対立の原因かもしれませんね。

 

 

その後ボーカルの北山真さんは、フリークライミングに転向。

日本フリークライミング協会理事長や日本山岳協会理事を務めたことは

Wikipediaを見て知りました。

1998年に音楽界に復帰、北山真with新●月プロジェクトで

アルバムを制作しています。

そして2005年にBOXセットが企画され、幻のセカンドアルバムを

オリジナルメンバーで録音する為にメンバーが集結。

そのまま再結成されます。2006年には26年ぶりにライブが行われました。

自分も見に行き、当時やっていたブログにはライブレポを掲載しています。

その時のブログは、運営会社が撤退しもう残っていませんが、

幸いに当時の下書きがデータに残っているので、

機会があれば手直しして公表してもいいかなと思っています。

 

自分だけでなく、多くの人の心に残っている稀有なグループです。

売れなかったのが残念ですが、機会があればアルバムも通して

聴いてもらいたいですね。