「被告は治療を」裁判長が説諭、遺族「納得できない」 神戸5人殺傷
先日判決が出た神戸市北区で2017年7月、住民3人が殺害され、2人が重傷を負った事件。
3人を殺害し、2人に重傷を負わせて…なんと無罪になりました。
普通ありえへんでしょ。
オレは「身勝手な理由で他人の命を奪った者は、己の命を持って償う以外に無い」と思っているから。
今回の動機。
事件2日前から知人女性の幻声を聞くようになった。前日には「神社に来てくれたら結婚する」「この世界の人間は君と私以外は『哲学的ゾンビ』なんだよ」という幻声を聞いたとされる。
「哲学的ゾンビ」とは、哲学用語で、外見は人と同じだが、意識だけがない存在をさすという。
被告は「哲学的ゾンビ」を殺せば知人女性と結婚できる、という妄想を抱いていた。
まさに「は?」ですよ。
ファンタジーの世界でもまったく面白くも何とも無いストーリーですよ。
常人にはまったく理解できません。
事件となんら関係ないオレでも「は?」なのに、殺害された方々の遺族からしてみたら「は?」どころでは無いだろうね。
こんな理由がまさに「身勝手な理由」以外にあるのだろうかって話ですよ。
でも、ここが今回の裁判の争点。
そう、こんな妄想?で人を殺した被告に刑事責任能力(自分のした行為が適法なのか違法なのかを認識できる力、違法と認識した際に自分の意思でその行為を思いとどまる力)があったのかどうか。
結論から言えば「刑事責任能力は無かった」「心神喪失状態だった」との判断で無罪となった。
精神に障害があるために、刑事責任能力が完全にない状態を「心神喪失」、著しく低下した状態を「心神耗弱(こうじゃく)」と呼びます。刑法39条は、心神喪失の人がした違法行為は「罰しない」、心神耗弱の時は「刑を軽くする」と定めています。
…なのだそうで。
ここで今日の本題。
以前のオレならそんな都合のいい話があるかいな!
どんな人間でもまったく刑事責任を問われないようなくらいに心身状態がなるなんてあるかいな!
これは弁護側が少しでも刑を軽くするために利用している口実に過ぎないんだろう!
…なんて思ってた。
けど、今は違う。
それはやっぱり認知症になったオカンを見て来たから。
当然「まとも」だった頃のオカンを知ってるからこそ認めたくは無かったけど、「まとも」だった頃には信じられないくらいに精神状態っつーの?がおかしくなってしまったからね。
常人には見えてない人間が見えていたり。
あったことが無かったことになっていたり、無かったことがあったことになっていたり。
そしてそういう指摘がまったく理解されなかったり。
もしもオカンがこういう状態で法に反することを起こしてしまったとしたら、オレは「こういう状況なのにまともな判断が出来るワケないでしょう!」と言うと思うんだな。
今回のケースもそれに近い気がする。
だから「死刑が妥当!」なんて事は何か言いにくい。
だからと言って「無罪」はどうなんだ?とは思う。
本人が心神喪失状態だったのだとしたら、やっぱり周り(家族)が気をつけてあげないと。
今回の事件では同居家族が犠牲になったけど、同居してたからこそ毎日見てんだからこんなことになる前に手を打たないと。
いや、逆に家族だからこそ「まさか人を殺すなんてことまでは…」なんて思ってたのかも知れない。
予兆みたいなのはあったけど認めたくない、信じたくないってことだったのかも知れないけど。
ちょっとオレもいろんな意味でモヤモヤした今回の判決。
だからと言って「死刑反対!」とは思っちゃいないよ。
やっぱり人の命を奪うってことはこの世で一番重い罪。
殺人という犯罪にはいろんな事情はあるにせよ、犯罪抑止力の意味でも絶対に死刑制度は必要。
これだけは考えは変わらない。
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