アンカツ引退会見「調教師にも助手にもならない」3日に引退式(サンケイスポーツ) - goo ニュース
アンカツ。
は?あんこでも入ったトンカツの仲間か!?
競馬を知らん人には何のこっちゃ?やけども、競馬ファンなら誰でも知っているアンカツ。
そう…。
笠松競馬出身でJRA騎手の安藤勝己騎手。通称「アンカツ」。
そんなアンカツ騎手に関して、オレも昨年末くらいから気になってたんだよ。
「ん?アンカツ最近全然騎乗してないけどどないしたんやろ?」って。
確かにここ数年は騎乗数をセーブはしてたけども、別に大きな怪我をしたとの情報も無いし、なんでだろ~なんでだろ~ななななんでだろ~…なんて心配してたら…えええ~っ!?1月31日で免許返上
騎乗して無かったのは腰痛の悪化と体重の増加が原因やったんやね。
オレも腰痛持ちとして分かるよ。
体重を減らすために運動すればその分腰への負担も大きく、結局腰痛を悪化させるコトになる。
そのあたりの微妙な調整が難しくなってしまったんやろね。
正直、残念だ。
でも、年齢を考えたら仕方ないのかも知れないね。
怪我をして引退なんて、悲しいもんね。
オレが安藤騎手を知ったのは地方と中央の交流元年とも言える95年の報知杯4歳牝馬特別(今の報知杯フィリーズレビュー)にライデンリーダーとのコンビで出走した時。
95年と言えばオレが競馬を始めてまだ2年目。
地方競馬なんてろくに分かって無い頃。
そんな頃だけにあの勝ちっぷりは衝撃だったよ。
ライデンリーダーの強さもさることながら、あの豪快な騎乗。
腕をぐるんぐるん回してムチを打つ、いわゆる風車ムチ。
あんな乗り方、競馬歴2年生のオレは見たことなかったもんね。
「馬に乗ってる」と言うよりも、「馬を走らせている」って感じ。
それ以降、オレは中央に遠征してくる地方馬に注目するようになったし、地方競馬にも興味を持つようになった。
まさに、地方競馬にも関心を持たせてくれた騎手でもあったな。
ちなみに、ライデンリーダーがアンカツ騎手とのコンビで中央に遠征してきた時は全部馬券を買った。
そして、結果中央に最後に登場した96年のシルクロードSは現地で観戦もした。
馬券は取れたことは無かったけど…
そんな安藤騎手。
地方騎手が中央移籍できる道を切り開いたまさにパイオニア。
最近JRAは地方騎手の移籍のハードルを上げようとしている(ようにオレは感じている)のにはちょっとイラっとするけども、それでも安藤騎手が居なかったら今も地方と中央の垣根は高いままだっただろう。
本当に安藤騎手の功績は大きいと思う。
地方所属時代も含めてJRA通算1,111勝。
実質JRAで騎乗した年数を考えたらものすごい数字ですよ。
もし、もっと早く安藤騎手がJRAに移籍していたら、天才と呼ばれている武豊騎手が持つ数々の大記録は誕生してただろうか!?
もし、安藤騎手がJRAに移籍していなかったら、天才と呼ばれている武豊騎手は今頃4,000勝に到達してたのでは無かろうか!?
そう考えると、本当に安藤騎手の存在は大きかったと思うね。
今後は調教師にも助手にもならないってコトやけど、安藤騎手ほどの人物なら逆に外から競馬を盛り上げてくれる活動をしてくれるのが良いのかも知れない。
かつての名ジョッキー岡部幸雄さんのように。
とにかく!
オレも馬券でお世話になった事も多々あった。
馬券を抜きにしても、見ごたえあるレースをいくつも見せてもらった。
ありがとう!アンカツ!
唯一の心残りは、オレがシルクホースクラブで出資しているお馬に1度も乗って貰ったコトが無かったコトかな。
「アンカツが乗って勝てないのなら仕方ないか」
そんな風に思わせる騎手だっただけに、1度でイイから乗って欲しかったなぁ。
とりあえず、アンカツさんお疲れ様でした!
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アンカツ。
は?あんこでも入ったトンカツの仲間か!?
競馬を知らん人には何のこっちゃ?やけども、競馬ファンなら誰でも知っているアンカツ。
そう…。
笠松競馬出身でJRA騎手の安藤勝己騎手。通称「アンカツ」。
そんなアンカツ騎手に関して、オレも昨年末くらいから気になってたんだよ。
「ん?アンカツ最近全然騎乗してないけどどないしたんやろ?」って。
確かにここ数年は騎乗数をセーブはしてたけども、別に大きな怪我をしたとの情報も無いし、なんでだろ~なんでだろ~ななななんでだろ~…なんて心配してたら…えええ~っ!?1月31日で免許返上
騎乗して無かったのは腰痛の悪化と体重の増加が原因やったんやね。
オレも腰痛持ちとして分かるよ。
体重を減らすために運動すればその分腰への負担も大きく、結局腰痛を悪化させるコトになる。
そのあたりの微妙な調整が難しくなってしまったんやろね。
正直、残念だ。
でも、年齢を考えたら仕方ないのかも知れないね。
怪我をして引退なんて、悲しいもんね。
オレが安藤騎手を知ったのは地方と中央の交流元年とも言える95年の報知杯4歳牝馬特別(今の報知杯フィリーズレビュー)にライデンリーダーとのコンビで出走した時。
95年と言えばオレが競馬を始めてまだ2年目。
地方競馬なんてろくに分かって無い頃。
そんな頃だけにあの勝ちっぷりは衝撃だったよ。
ライデンリーダーの強さもさることながら、あの豪快な騎乗。
腕をぐるんぐるん回してムチを打つ、いわゆる風車ムチ。
あんな乗り方、競馬歴2年生のオレは見たことなかったもんね。
「馬に乗ってる」と言うよりも、「馬を走らせている」って感じ。
それ以降、オレは中央に遠征してくる地方馬に注目するようになったし、地方競馬にも興味を持つようになった。
まさに、地方競馬にも関心を持たせてくれた騎手でもあったな。
ちなみに、ライデンリーダーがアンカツ騎手とのコンビで中央に遠征してきた時は全部馬券を買った。
そして、結果中央に最後に登場した96年のシルクロードSは現地で観戦もした。
馬券は取れたことは無かったけど…
そんな安藤騎手。
地方騎手が中央移籍できる道を切り開いたまさにパイオニア。
最近JRAは地方騎手の移籍のハードルを上げようとしている(ようにオレは感じている)のにはちょっとイラっとするけども、それでも安藤騎手が居なかったら今も地方と中央の垣根は高いままだっただろう。
本当に安藤騎手の功績は大きいと思う。
地方所属時代も含めてJRA通算1,111勝。
実質JRAで騎乗した年数を考えたらものすごい数字ですよ。
もし、もっと早く安藤騎手がJRAに移籍していたら、天才と呼ばれている武豊騎手が持つ数々の大記録は誕生してただろうか!?
もし、安藤騎手がJRAに移籍していなかったら、天才と呼ばれている武豊騎手は今頃4,000勝に到達してたのでは無かろうか!?
そう考えると、本当に安藤騎手の存在は大きかったと思うね。
今後は調教師にも助手にもならないってコトやけど、安藤騎手ほどの人物なら逆に外から競馬を盛り上げてくれる活動をしてくれるのが良いのかも知れない。
かつての名ジョッキー岡部幸雄さんのように。
とにかく!
オレも馬券でお世話になった事も多々あった。
馬券を抜きにしても、見ごたえあるレースをいくつも見せてもらった。
ありがとう!アンカツ!
唯一の心残りは、オレがシルクホースクラブで出資しているお馬に1度も乗って貰ったコトが無かったコトかな。
「アンカツが乗って勝てないのなら仕方ないか」
そんな風に思わせる騎手だっただけに、1度でイイから乗って欲しかったなぁ。
とりあえず、アンカツさんお疲れ様でした!
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