およそ日本と縁のなさそうなケロウナに何ゆえに大山巌から名付けた町があるのか?
前回の第一次探検では大山の「おの字」も浮かび上がってきませんでした。ひるむことなく、第二次探検に出かけました。目指すはLake Country第二の町Okanagan Centre。ここにLake Country Museumがあることが調査の結果分かったのです。国道97号線をWinfieldで左折してオカナガン湖の東岸に沿って北上すると間もなくOkanagan Centreの集落です。名前から想像して、Lake Countryの中心であった時代を思い描いたら大間違い。あっという間に通り過ぎました。「The Store」の看板を掲げる古い木造の建物がどうやら唯一の店らしいので、そこに立ち寄り尋ねたら「すぐそこの小学校の跡地が博物館」「Okanagan Centreの現在の人口は800人程度」との答え。センターじゃないじゃん!OYAMAより小さいじゃん!
博物館(というよりも日本でもよく田舎町で見かける「資料館」をウンと小さくしたもの)にはLake Countryが開拓された1900年代初頭からの生活古民具等が展示され、裏庭には1906年に建てられた小さなキャビンが移築されて公開されています。壁には古い新聞の切り抜きも貼られ、この地域に入植して成功した日本人移住者の記事、写真等も展示されています。20世紀初頭に長野県から移住した小林伝兵衛さんという先達が、この地域での日本人移住者のリーダー的存在であったことも分かりましたが、まだまだ大山巌との接点が見出せません。
私の推理では、鹿児島からの移住者が当地に最初に入植しそれなりの成功を収めて、郷土の英雄「大山巌」さんの名前を拝借して土地に命名したというものですが、なかなかその仮説を立証する材料が出てきません。
第二次現地探検では思わしい材料に出くわさなかったので、仕方なしに図書館で調べてみることにしました。1905年に誕生したケロウナ市は昨年生誕100年目を迎えました。その時に発行された記念誌の一頁に興味深い記事を見つけました。題して、「History of Okanagan Japanese-Canadian is published」。この地方に移住した日本人の足跡を纏めた「The Vision Fulfilled」という本が発行されたことを伝えるとともに、カナダへの日本人移民の歴史が簡潔に記されています。これはまた別の機会にご紹介したいと思います。大山巌への言及を期待して探しましたが、これまた残念ながら見つかりません。
いよいよ最後の手段です。図書館の司書のオバサンに事情を説明したら、地名の由来の載っている資料を紹介してくれました。それによると「OYAMA」は、私の推理とは違って、1906年にこの土地の初代郵便局長に任命されたHenry Irvineなるオジサンの好みで名付けられたらしいことが分かりました。私の夢がもろくも崩れ去った瞬間でした。
1904~1905年の日露戦争で大国ロシアを破った小国日本の「大山巌」の名前は、当時のカナダの新聞でも連日紙面をにぎわせていて、このオジサンの脳みそにしっかりと刻み込まれていたのでしょう。
OYAMA命名の経緯の詳細は次回の報告といたします。