ヘブル12:5-6
『そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」』
罪の中に生きていても、懲らしめがないならば人々は神を恐れません。
神がいるならば、何で罰を与えないのかと神を軽んじます。
また、「神はいない」と言います。
ある人は神でも何も出来ないとまで言います。
そのような人々は神を侮る人たちで、心の中に神を置きたくない人たちです。
そういう人の中に神も入らないです。
その状態は電車が走っているのに、運転手がいないと必ず脱線や事故が起こるように、その人生も暴走する人生になり、いつか滅ぼされてしまいます。
神は愛する者が脇道にそれたり、不信仰になったりすると懲らしめを与えます。
懲らしめは愛のむちのようなもので、悪い道から立ち返らせるために使います。
間違いを悟って悔い改めることを神は期待します。
悪いことをしても懲らしめがないならば、それは愛されてない証拠です。
【祈り】
主よ。主の懲らしめは、すべて私たちのためであることを感謝します。
【聖句をノートに書きましょう】
-訓練、教訓-
- 第1コリント10:11
- 伝道者の書12:11-12
- コロサイ3:16
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