第1コリント15:9-10
『私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。
ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。』
おのれを正しく知る者は、誇れるものが自分には何もないことが分かります。
人間は裸で生まれ、自分が使うものすべては与えられたものです。
命までも与えられています。
それを知っている人がどれくらいいるでしょうか。
人間が自分の存在を一番正しく悟るためには、裸の姿で神の前に立たないといけないです。
パウロは光の中で自分に現れたイエス様に出会うまでは誇り高い者でした。
しかし主に出会った時に、まぶしい光によって目が見えなくなりました。
そして目からうろこのようなものが落ちた後に、霊の目が開かれ、主の前で自分の恥ずかしい姿を見ました。
それからのパウロはすべての誇りと高慢を捨てて謙遜な者になりました。
主に出会った後も何も変わっていない人は、未だに自分の姿が見えない人です。
その人は主の前に自分を立たせないといけないです。
そして霊の目が開かれることを求めることです。
【関連聖句】
ルカの福音書14:11
『なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」』
【聖書通読】
-生きた手紙-
- 第2コリント3:1-4:18
《 3分バイブルボイス 》