マラキ書1:2
『「わたしはあなたがたを愛している」と主は仰せられる。あなたがたは言う。「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか」と。「エサウはヤコブの兄ではなかったか。──主の御告げ──わたしはヤコブを愛した。』
愛されてもその愛が分からない人、良くしてもらっても感謝を知らない人、恵みを受けても恵みと思わない人と話すよりは、壁に向かって話す方がましです。
なぜなら話せば話すほど腹が立つからです。
不平不満は誰よりも多く、反抗的な態度と反発のことばを使って相手を攻撃します。
神が自分を愛しても、その愛が分からない人は神を知らない人です。
愛は知識や説明で分かるようなものではありません。
愛は、愛するならば分かります。
愛は体験で分かります。
子どもの時に愛された経験がない人は、大人になっても何が愛なのか、どのように愛したら良いのかが分からなくて、苦しんでいる人たちを見たことがあります。
神を信じても神を愛していない人は、神の愛が分かりません。
しかし自分が神を愛すると、神の愛を実感することが出来ます。
第1ヨハネ4:11-12
『愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。』
【関連聖句】
テトス1:16
『彼らは、神を知っていると口では言いますが、行いでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。』
《 3分バイブルボイス 》
【舌・言葉】多くのことばより、多くの働きを:詩篇141編