マタイの福音書10:42
『わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」』
この世の基準と神様の基準はあらゆる分野で異なります。
小さな働きには小さな報いが当たり前なのが世の基準です。
もちろん例外はあります。
しかし神様の基準は小さなことなのに、大きな報いを受けます。
『水一杯でも飲ませるならば』に注目したいと思います。
主の名によって小さなもてなしでもするならば、また主のしもべたちが伝える福音を受け入れるならば、主はその人がしたことを忘れず、高く評価して報いを与えます。
自分が小さなことだと思っても神様は小さなこととは思わないです。
マタイの福音書25:35-40
『あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』』
【関連聖句】
ローマ12:13
『聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。』
《 3分バイブルボイス 》
【罪】もし罪を指摘されるならば:詩篇32編