淨教寺のご住職、舘行環さんは私の日高中学3年の時の担任でした。(昭和44年卒業)
今月22日に亡くなられ、今日は告別式でした。
私が中学を卒業したその年の夏、私の3才年上の姉が他界しました。
その後、姉が書き続けていた日記を手に、担任だった舘先生に本にして残したいと相談に行ったのが出版のきっかけでした。
姉の本「愛は悲しみとともに」を出版することができたのは舘先生の力添えがあったからです。
この写真は大和書房の方が、日高を訪ねて来てくれた時の写真で父が富内線の日高町駅で写したものです。
中央が舘行環先生です。(昭和44年冬)もう50年も前のことです。
淨教寺に来ていたエゾリスさん
私のブログのプロフィールのところに、このエゾリスさんの写真を使わせてもらっています。
姉の本は字も小さく、数冊しか残っていなかったため、この町にU-タンをきっかけに本を再販しました。
本の最後の部分に舘先生が書いてくださった一部です。
再販した本は北海道の各高校と日高町の図書館等に寄贈させてもらいました。
先生はわが町のお店のシャッターが閉まることや、衰退していく日高町日高地区のことを心配されていました。
日高の移り変わりをずーっと見守られてきました。これからもこの町の空の上から見守ってくれることでしょう。