ある仮説の検証をするために、Nintendo Switchを買って、スイカゲームを入れてみた。
結論:運ゲームです。
ランダムに落ちてくる果物を成長させるわけですが、試しに場所を動かさずに、ランダムに選ばれる果物をひたすら落とし続けても成立します。
少しは余計な細かい果物を片付けておくと良いように思えるけれど、後ほど成長する可能性もあるので、片付けなくても良い。
運が良ければ点数が良いが、運が悪ければ点数は上がらない。
似たゲームがありますなぁ。
Vampire Survivors
方向キーでキャラクターを動かすだけ。
攻撃は自動。
やればやるほど経験値が増えて勝ちやすくなる。
アイテム取得の演出が派手だったり、敵を一掃する攻撃が快感である為、ハマる。
パチンコやパチスロのコンピュータ確率ギャンブルと変わらない。
パチンコで人が操作するのは、ハンドルだけ。
玉は自動で供給される。
当たった演出や玉の数は派手で多い方がいい。
自分が支配的にコントロールしている感じが得られる。
しかし、コントロールされているのは客。
スロットもボタンを押して当てれば良い。
当たる確率はほどほど低く、当たったときは派手な方が良い。
当たったときに快感を得られ、台を支配している感覚が得られる。
しかし、コントロールされているのは客。
実際世界でやっていることは、目と指先ぐらいしか動かしていないんですよ。
自己肯定感や幸福感を得られるけれど、「感」であって、実際には何も成していない。
時間と財力を奪われ続けているわけで、生産性の高いことはしていない。
ゲームとはそういうもので、そんなことに時間を費やすぐらいだったら、生産性の高い実質的な価値のある労働や、勉強して自分を高めるとか、運動をするなどした方が良い。
明らかに成長する。
いわば麻雀もしっかり分析すれば、そのようなギャンブルに類する。
学ぶことが多く、繰り返せばうまくなったような気がする。
当たれば高得点が得られて支配感が高まる。
現実的には、指先と口ぐらいしか使わない。
本来的にはゲームという娯楽はそういうもの。
カードゲームも、盤面ゲームも同じ。
頭の中だけで勝敗が決まる。
楽しみはあるが、生産性はない。
ところが、戦争でシミュレーションを用いるとなると、実際に人を殺して勝つことが目的となる。
自動計算機のENIACが作られた目的は、弾道計算シミュレーションを行って、敵の標的に弾を当てやすくするのが目的だった。
潜水艦ゲームを実際の戦争に用いようとしていたのが、アメリカだったわけですよ。
言ってしまえば、フィクション、ノンフィクションにかかわらず、小説や漫画などのの物語は、頭の中だけで成立する空想。
根本的には人が生きることに価値があるかどうかで言えば、価値なんてないとは思いますよ。
人の能力は生まれた場所や育った状況の環境的要因が大きいと思いますよね。
そこで何を得て、何を学んでいくかは、それこそ人それぞれですが。
親ガチャや上司ガチャなんて言いますけれどね。運ゲームです。
ひどい逆境に耐えてめちゃくちゃ成長することもあります。
それでも生物の基本本能である、「生存本能」を満たすためにはどうすればよいか?
生き残るために、死なない方法を見つけ出すのですよ。
それも行き過ぎると、やりすぎて自死願望を抱いてしまいます。
他の世界の他の価値観を知っていれば、行き詰まることなく、より良い方法に乗り換えることができます。
知らないとできない。
他の方法があると気づくことができるのが、人の想像力で、それまで無いものを生み出すこともできる。
その多様性は、想像空想物に多く触れて鍛える。
だから、現実と空想をしっかり行き来する必要があるんですよね。
考えたら実践する。実践したら考える。
疲れますよ。エネルギーも使います。
事故も怪我もする。
しかし、それをしないと成長もしないのですよ。
頭の中だけで考えても、非現実的な空想になるし、
現実だけ行っても、組織で動くコマや歯車としての役割から脱せない。
それぞれ実行して考えながら、物事を進めないと、そもそもしっかり学べない。
子供みたいな大人が大量発生しますよね。