ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

2015-10-11 04:54:51 | 日記
人は意外と嘘をつく。

自分も含めてなんですけどね。

言うべき時に言うことを言えないというのも結果的に嘘になってしまう。

何も言わないことが肯定になったり、否定になったり。

「あー、あの時ああ言っていればよかった!」

と気付いて後悔するとか。


でも過ぎたことなんだから仕方ないと諦めるしかない。

これは嘘か?嘘じゃない。

次に備えて予行練習しておくというのも手。

問題は自分で自分のことにつく嘘。

何かの説明を求められた時、適当についてしまう嘘。

小さな嘘をつくと、それを補完するために更に嘘の論理を乗せていくしかなくなってしまう。

そうするとどんどん物事の解釈がゆがんで行ったり、泥沼に入っていってしまう。

「うん。ごめん。今までの全部ウソでした!」

と、言うことは案外難しかったりする。

だってほら、プライドとか、責任とか、大人になればなるほど問題になったりするじゃない?

なんだか思考の変なループに入っているなと思ったら、
「そもそも前提が嘘なんじゃなかろうか?思い込みじゃなかろうか?」
と、リセットしてもいいと思う。

嘘の自分を認めるというのは嘘ではない。

年取ると難しくなってきちゃうんだけどね。

経験則ほど厄介なものはないと思う。

これがいろいろな偏見を産んでしまう。


私が基本的に信じてないのが、

血液型性格判断
北枕
方位診断
大安仏滅

よくよく調べると、なんにも因果関係が無かったりする。

あとことわざはあまり使わない。
物事を断定するときにもっともらしく言うけど、大抵逆の意味のことわざもあるから。

愛は信じたいところ。
愛があるから生まれてきたし、生きていられる。
人を憎むのだって愛ですよ?
相手が自分の期待と逆のことをするから恨むんですよ。
どうでもいい人にそもそも期待しないでしょ?
コメント
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