ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

丙午

2023-07-02 11:09:04 | Culture
ふと丙午を調べた。

1966年に少子化になった原因。

丙午に生まれた女性に問題が出るという迷信だが、1966年生まれには、有森裕子さんや、小泉今日子さんなど、著名人も多い。

このとき生まれた場合、同級生が少ないという事が起こる。

逆の立場の私は、第二次ベビーブームにあたり、同級生がやたら多い。

木村拓哉さんや、マツコ・デラックスさんが同世代に当たる。
イチローさんは一年世代が下に当たる。

受験戦争も就職戦争も、過当競争になります。

供給過剰になるので、よっぽどの特性がないと受からない。

長期的に見れば、過当競争を勝ち抜くスキルが求められるため、能力のある人は伸びる。

また、相対的に人口が多いため、マスメディアの広告対象になりやすい。

世論全体の総意が反映されやすい世代となる。


相対人口が少ない世代は、以上とは逆の現象が起こると考えられる。

入試採用は、供給不足で重宝されるが、世論的な世代軽視が起こる。


しかし、丙午などの迷信は、それらの問題に別の問題が追加される。

社会的な冷遇も発生するが、相対人口が少ないからこそ受け入れられる面もある。


コロナ禍の最中にティッシュ買い占めが起こったのを見る限り、オイルショックと変わらず、日本ではデマがはびこることを証明してしまった。

オイルショック時は、マスメディアによる情報操作が主だったが、今回はSNSなどのネット情報に踊らされた。
ネットリテラシー以前の、情報リテラシーが不足しているんですよね。
噂を信じてしまう。
情報の原点や根拠を調べない。
それは未だに続いている。
過去の歴史を鑑みれば、マスメディアは政治的な大衆意識操作にうまく使われてきたというのに。

2026年に再度丙午がやってくるのだけれど、日本人の情報リテラシーではまた少子化が起こるのでしょうね。


遅ればせながら、「1984年」を読みました。

今の日本の社会は、この中で表現されている社会を見事に実現していると思いますよ。

見事な監視社会。

政治の理想社会ですよね。

ビッグ・ブラザーとなる神格化された存在を作ると、大衆は従順化する。
政治主導者や大企業の創業者は、神格化するべきだとわかる。
仮想敵を用意して、そこにヘイトを向ければ更に従順になる。
略語を用いて言葉の語彙数を少なくし、白を黒、黒を白として判断能力や思考能力をなくしていく。

見事に実現されてしまっている。


その文化の中にいる限りわからないんですよね。
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寝ている状態が生のデフォルトで、起きているのはより多くを得るため

2023-07-02 07:05:35 | Health

言われてみれば、そのとおりで。

植物のように、動かないけれど成長していく状態は、睡眠状態であるとする。

動物が起きて移動するのは、より多くの食糧エネルギーなどを得るために、進化過程で覚醒状態である、移動や労働などの活動ができるようになったということ。

同じ生活圏内のエネルギーを全て取り尽くしても、そこ以外に移動できれば生き残れる。

しかし覚醒状態は、エネルギーの行使により運動を行うので、細胞にも脳にも打撃とダメージを与える。

だから生き物としてニュートラルな状態の睡眠状態が必要になる。
睡眠により、覚醒時に与えた細胞などへのダメージの修復を行う。


そうであれば、適正な睡眠時間はより長く設定されるのだろうな。
休憩時間もしかり。

高出力状態の学生時代に、昼もやたら眠くなった理由も説明できる。
年を取って睡眠時間が短くなるのは、生活技術の効率が上がって、出力が抑えられ、自身の体や脳へのダメージが少なくなるためか。

忙しい時ほど、しっかり休んだほうが、より高いアウトプットを期待できる。

休まないと間違いが増えて、忙しさが悪化する。

残業推奨の上司を見かけるが、それで失敗が増えることを見越していないとも取れる。


自分をかえりみて、出力に対して、睡眠時間短いよなぁ。
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他人の失敗

2023-07-02 00:45:28 | 日記
他人の失敗の責任までは取れないよなぁ。

それは自分でなんとかしてくださいよ。

それでも他人の失敗であったとしても面倒を見るのは、他人ではないときなど。

どこまで身内であるかも重要な判断。

全く他人の失敗すべての責任を取ろうと思ったら、予算も時間も全てが足りない。

全く他人で責務がないからこそ助けられるということもある。


今日はなんだか変な一日だった。

正確には昨晩からおかしな感じではあった。

路上に停車している消防車。
交差点の停止線でボンネットを開けて停車。
バッテリーが上がっていたのか、運転手らしき人がブースターケーブルを取り出してきていた。
細い道であるため、当然、長い渋滞が発生。

今日は久しぶりに街宣車を見た。
普通乗用車を改造したものだけど、やはり交差点手前で不自然に停車。
渋滞を引き起こす。

用事の帰りがけ、眼の前を走る車が危険な運転をしまくる。
側道に入ろうとして直前で方向を変え、分離帯にぶつかりそうになる。

大きな道路にでたら、前の車が無理な車線変更を繰り返す。

打ち合わせの約束をしていたが、すっぽかされる。


大体が車絡みだったけれど、他人の失敗に巻き込まれたくないなぁと思った一日だった。

なぜか道が渋滞していたけれど、スケジュールは守れるように余裕を持って行動していたため問題がなかった。


こちらが十分な対策をしていたとしても、他人が起こした事故に巻き込まれることがある。

別にスマートにやりたいとか、そういうことではなく、単純に失敗による時間的経済的信用上の損失損害を防ぐための対応を行っているのだけれど、やっかみをする人も出てくる。

人類の文明による知恵とか勉強は、失敗を限りなく少なくするために進化したと考えている。

知恵や知識は生き残る確率を上げる道具。

とはいえ、万能ではないし万全でもないから失敗する。


その失敗をたくさん許容できるから人はお金を欲しがるけれど、そもそも所持金は有限だのだから、失敗そのものを少なくしたほうがお金は少なく済む。

そして、かけたコスト以上の成果を出すのが仕事の根本のはず。

仕事が学校の延長で、仕事で失敗コストばかりを増やす人間が多いのも事実なのだよな。

そして失敗をうまく片付けてくれる人を、うまく使いたいという要求もある。


疲れるし、疲れているからネガティブ思考にもなるので、早めに休んでいたけれど、思考が回ってしまうのでブログ化した。
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