年末に宮崎から帰ってきた甥を、年が開けて五日に妹と空港まで送って行った。彼は、この春大学卒業後は東京に引っ越す予定だ。大きな会社に就職が決まり大喜びかと思いきや、沖縄に仕事があったら帰りたいという。沖縄大好き人間のようだ。今はそんなこと言っているけど、東京に行ったら、東京の生活に慣れ、そのうち沖縄に帰りたくないと思うよと言って送り出した。
さて、その後私達は那覇の町をいつもの如くうろついた。そのうちなんだか喉が渇いて、「何か飲もう」と言って自販機の前に行った。そんなにたくさん欲しいのではないが、ちょっとでいいんだけど・・・何がいいかなと、迷っていたら妹が「ヤクルトがいいんじゃない?」と言った。彼女がそれを取りだす時、私はもう笑い出しそうだった。ヤクルトをもらって、彼女を見たら吹き出してしまった。二人とも大笑いです。
なぜかって?昔よく母と買い物に出かけると(那覇の平和通りが多いかも)、途中で母が、必ずといっていいほどヤクルトを買った。私はそんなに欲しいとは思わなかったが、いつも「はい」と手渡されて飲まされた。あの時のことが、私達に蘇ってきたのだ。
「年を取ったら、なんだか喉も渇くね」
「おっかあの気持ちがわかったような気がするね」
自分たちもその年になったのかと、笑いが止まらなかった。
喉を潤したいが、そんなに量はいらない、ちょうどヤクルトぐらいの量がいいのだ。平和通りでヤクルトがよく売られている理由がわかったような気がした。
年を取ると喉も渇くが、肌も乾燥する。足(すね)がかゆくなり、背中がかゆくなる。父がよく孫の手を使っていたのも思いだされ、今まさに私達がその時の父や母の年齢になったのだと感慨深い。
夜、私は、そうか、そうかと言って、膝や顔にクリームをなすり付ける。
年を取る・・乾燥する・・乾燥していく・・・そうなのかと呟きながら。
(写真は年末に掃除していたら出てきたノート。中に、昔むかし、きれいだなと拾った「桜の葉」。年月が経って乾燥しているのにかすかに桜のいい香りがする)