Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

北の大地から#2

2013-09-22 | 鉄道写真


 それでは、鉄道博物館として国内でも屈指の規模を誇る、小樽市総合博物館の所蔵車両を、4回に分け見ていきたいと思います。


 最初は、本館エントランスに保存される、北海道開拓使6号、後の7106「しづか」です(写真)。北海道の鉄道草創期の車両、アメリカのポーター社製のプレートも付いています。後には、同時期の客車が続きます。



 屋外、最初の展示は、キハ82 1です(写真)。昨年撮影時には、塗装補修工事の最中でした。特急の愛称が、山線回りの「北海」であるところが、渋い。



 キハ82 1の車内(写真)。当時は特急でも回転クロスシート、リクライニングシートはグリーン車のみでした。背面の開閉式テーブルは、大半が壊れています。



 食堂車、キシ80 34です(写真)。調理室側の側面、業務用ドアから中に入ることが出来ますが、中はビデオ鑑賞用の施設になっていた筈です。



 その横は、C55 50です(写真)。日本初の国産急行形パシフィックC51の軽量化を目指し、C54の失敗を受け設計されたライトパシフィックです。晩年は北海道と九州でその姿が見られました。



 その後には、日銀の現金輸送車、マニ30 2012が続きます。用途が判明しないように、外観はマニ50に合わせています。現存では唯一の、貴重な車両です。



 その内部も公開されています。日銀職員の、輸送中の滞在室(写真)。寝台、喫煙席等装備されています。



 現金輸送室(写真)。床にペイントで数字が書かれ、下ろす位置を指定していました。


 現在は現金輸送車で輸送されるので、これらの車両は用途を失い、廃車されました。



 北海道のELの主力であった、ED76 500番代、509号機です。客車列車の廃止で用途を失い、1両のみ青函トンネル用に551番に改造されましたが、同機も廃車されました。こちらも、ツララ切りに注目。



 同機の運転台(写真)。左手にブレーキ、右手の扇形の装置がマスコンで、アクセルに相当、ノッチが刻まれています。大体昭和40年代の、他の国鉄形ELと同じです。



 その下からの写真(写真)。ED76の後に、スユニ50 501が続きます。



 スユニ50 501の荷物室(写真)。荷物車としては普通ですが、現在では新聞以外の鉄道荷物輸送は無く、実感が湧かない人が多いでしょう。



 中間は、郵便仕分室です(写真)。客車に郵便職員が乗車し、郵便を区分する、そんな時代もあったのでした。今では、説明のために人形が必要です。



 そして仕分後の郵便の郵袋を置く、郵便荷物室です(写真)。道路が未整備で鉄道しか長距離輸送が無かった時代、このように行われてきました。


 少し長くなるので、今回はこの程度で終わりたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
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