それでは、連載第14夜は、大阪発山陰方面、「ムーンライト八重垣」関連をお届けします。
大阪から米子、松江、出雲市方面へは、それほど急ぐ旅ではありません。平成13年夏、その「急がない旅」の始まりです。
当時は、「ムーンライト九州」なる長距離夜行快速があり、その使用車両、オハフ15 201が見えています(写真)。ディーゼル発電機の無い緩急車、展望席になっています。
その反対側の緩急車、スハフ14 203(写真)こちらはディーゼル発電機付き緩急車、塗色以外はオリジナルに近いです。
その牽引機は、EF65 1133(写真)。「関」、牽くべき客車がまだ多くあった時代です。
「ムーンライト八重垣」の牽引機は、同じく下関のEF65 1134(写真)。客車はアコモ12系か、14系か記憶にありません。
そして、未明に岡山で同機は切り離されます(写真)。
伯備線の牽引機は、電化区間にかかわらずDD51 1179です(写真)。EF64は、JR西日本にはあまり配備がありませんでした。
そして、米子から牽引機がEF64 9になりました(写真)。JR西日本にはこれ以外1号機しか無く、当時唯一の稼働機でした。こんな重要なカットになるとは、当時思ってもみませんでした。
米子駅の向こうのホームには、夜行急行「だいせん」、キハ65 1801及び801の2連が停まります(写真)。
JR貨物の伯備線は、岡山機関区にEF64 1000番代が配備され、運用に就いていました(写真、1046)。後に0番代が一時使用されましたが、現在は1000番代、しかし愛知機関区の所属となっています。
牽引するは「カーラック」を装備し、行きは自動車、帰りは空きスペースにコンテナが積載可能なコンテナ車、コキ72でした(写真)。名古屋発、米子及び新潟行きに使用されましたが、現在は、どうか。
今見ると、貴重なカットがいろいろあります。猫跨ぎしたのはどの程度あっただろう、と思うと、後悔します。今日の日常は、明日は貴重なのです。注意しましょう。
それでは、次回をお楽しみに。
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