それでは、連載第482回目は、引き続き「那珂川清流鉄道」からお届けします。
今回も、先回と同様な、国鉄風な塗り分けのDLです(写真)。これも同様に、日立製作所1962年(昭和37年)製です。連結器は、自動連結器では無く朝顔形の連結器、私鉄か軽便鉄道で使用されたものです。
草創期の内燃式機関車の製造に深く関与した同社、国鉄制式機の成果が反映されているのでしょう、連結器以外は現役機と違いありません。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第482回目は、引き続き「那珂川清流鉄道」からお届けします。
今回も、先回と同様な、国鉄風な塗り分けのDLです(写真)。これも同様に、日立製作所1962年(昭和37年)製です。連結器は、自動連結器では無く朝顔形の連結器、私鉄か軽便鉄道で使用されたものです。
草創期の内燃式機関車の製造に深く関与した同社、国鉄制式機の成果が反映されているのでしょう、連結器以外は現役機と違いありません。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第481回目は、引き続き「那珂川清流鉄道」からお届けします。
写真のDLは、朝顔形の連結器を装備する、2軸の機関車です(写真)。製造は日立、1962年(昭和37年)製です。塗り分けが、国鉄制式機に似ているのは、気のせいでしょうか。
流石は、国鉄内燃動車初期から関与しているメーカーだけあります。現在は生産していないでしょうが、かつては最新式でした。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第480回目は、引き続き「那珂川清流鉄道」からお届けします。
写真の機関車は、正確には保線モーターカーに分類されるようです、「MJK」、則ち松山重車両工業株式会社製のものです。連結器は、朝顔でも棒でも無い、柴田式自動連結器のようです。24系寝台客車と繋がれます。
同車は、新潟の会社で、ホームページを見ても現在は保線機械の専業メーカーのようですが、今回は登場させました。一般鉄道車両も牽引できるようです。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第479回目は、引き続き「那珂川清流鉄道」からお届けします。
今回は、森林鉄道形のDL、DBT133です(写真)。軌間は、国鉄・JRと同じ狭軌のようですが、はっきりしません。製造も、酒井製作所製のイメージですが、表示が無く、断定できません。
方転出来ない所でも、この向きを正面に走ることが出来たのでしょう。2軸で輸送量も限られますが、輸送規模に見合ったものであったようです。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第478回目は、引き続き「那珂川清流鉄道」からお届けします。
写真は背の低い片L字形の2軸の機関車、恐らく鉱山用の機関車です(写真)。製造はこれも協三工業、このようなタイプも造るようです。
内燃機関とはいえ火を扱うので、炭鉱では無く、金属等の燃えない鉱物の鉱山用です。高さを下げると、坑道の高さも低く出来、労力が減ります。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第477回目は、引き続き「那珂川清流鉄道」からお届けします。
写真は、DBタイプの、恐らくスイッチャーと思われます(写真)。日立製作所1969年(昭和44年)製です。片L字形の機関車、青のツートンの間に黄色の帯が入ります。
このタイプでも、日立製はあるのですね。専業メーカーほどではありませんが、程々にはあります。
それでは、次回をお楽しみに。
それでは、連載第476回目は、引き続き「那珂川清流鉄道」からお届けします。
写真は、D804(写真)。上半分は緑とクリームのツートン、足回りは真っ赤になっています。動軸はロッドの無い2軸で、スタイルは完全に協三工業製のものです。
小変更を続けながら、永く同じものを造るのが、ロングセラーである証です。今でも現役機があるのでは?
それでは、次回をお楽しみに。