船の好きなじいじの絵日記 愛艇アルビン28クルージング

瀬戸内海相生マリーナを定係港に愛艇の航海や日頃の出来事を船の好きなじいじの絵日記として印刷製本して保存しています。

今日も山陰北近畿道竹野IC関連土地の境界立ち合いで山登り!きつい

2021年09月14日 | ユラク「城崎温泉湯楽・朝市広場・旅宿「YaDOKARI」」仕事の話

今日も3回目の境界立ち合いです。

測量士や市役所職員、地元協力委員の皆さんや地権者が何時もの竹野IC予定地周辺に8時集合です。

今日は私の所有山林と親戚名義の代表相続人としての境界立ち合いです。

今日は山林の隣地との谷筋から尾根までの境界の立ち合い等急斜面の山登りです。

鹿の被害か?よくわかりませんが山には昔と違い草が生えてなく足元が大変滑り危険です。

つかむような樹木もなく大変です。

途中から尾根の方に進みながら登ります。

尾根はやはり谷筋と違って勾配が緩くて滑ることも少なく安全です。

でも慣れない山登りの行動、スパイク付きの長靴を履いているとは言え細心の注意が必要です。

過ぎた重量級の体重が災いします。

 

最後に私が小学生時代に祖父がうなぎや鮎、ニジマスの養殖をしていた三角池周辺です。

池周辺は我が家の水田でもあったのです。

子供時分には大きいと思っていた池、今見ると湯楽の庭園の池ほどの大きさです。

改めて子供の目線はすべて大きく目に映るのだなあと振り返ります。

大人の目線と感じ方が全く違うのですね。

60年前の私の大好きだった賢かった祖父「留太郎じいさん」との思い出が一気に思い出されました。

乾燥さなぎを手動式のミンチ器で粉にし子供ながらに一生懸命水で練ってニジマスの餌を作った事が思い出されます。

池のそばに管理用の小さな小屋を建てていましたがある時こじきが住み着いたのです。

優しい祖父は毎日握り飯などの食料を運び食べさせていたのです。

私の両親は夫婦で城崎に住み込みで働きに行っていたので留守を預かる祖母は徹底した節約主義の生活状況でこじきに食べ物を毎日届けるなど理解出来ず祖父と夫婦喧嘩をしていた事も思い出しました。

結局1か月ほど住み着いて養殖魚の餌作りも手伝っていました。

家には父母が居なくて高齢だった祖父に代わり中学生の時、春には牛で田耕もしていました。

一輪車に木板で特設荷台を手作りし肥タンゴ(人糞を入れて畑に運ぶ木製樽)を6貫積んで畑まで運んでいて大人でも4貫運んでいたときに「せいごちゃんすごいなあ」と村の人に褒めていただいた事も思い出しました。

祖父母と6歳9歳下の弟と5人暮らしだったので少しでも祖父母を手伝おうと思っていたと思います。

牛の餌を朝市に土手に草刈りに祖母が行くのですが学校に行くまでに自慢の一輪車に積み込み家まで持ち帰ってから中学校に行くと言うような事も、家族で城崎に引っ越す中学3年生までやっていましたね。

懐かしく思い出します。

16日は最後の4回目の立ち合いを残すだけです。

ではでは

▲城崎温泉の温泉宿。和モダンなロビーや美しい日本庭園などまさに癒しの宿。
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