バスde温泉

バスで行く温泉旅日記

豊岡市出石伝統的建造物群保存地区@出石

2020-08-11 16:22:40 | まち歩き
山陰本線八鹿駅、江原駅 および豊岡駅から全但バスでそれぞれ20分ほどのところ、豊岡市出石町は、旧出石藩の城下町。城下町として整備された町割が碁盤の目状で、美しい街並みが風情を残していることなどから、「但馬の小京都」と呼ばれています。


有子山城の北麓に慶長9年(1604年)、外様大名小出吉英により出石城とその城下町が築かれ、江戸時代には仙石家の城下町となって発展しました。江戸時代三大お家騒動の仙石騒動は有名です。


明治時代、出石城は廃城令によってその多くが取り壊されたが、堀、石垣などが現存、また隅櫓、登城門・登城橋などが復元されるとともに、お堀の一帯は公園として整備されて、観光客を集めるとともに、市民の憩いの場となっています。


出石のアイコンとなっているのが日本最古の時計台とされる辰鼓楼です。当初は城主登城を知らせる太鼓を叩く楼閣として1871年(明治4年)に完成たものであるが、1881年(明治14年)、旧藩医の蘭方医、池口忠恕がオランダ製の機械式大時計を取り寄せ寄贈したことによって現在の姿の時計台となったものです。


出石城の内堀の近く、内町通りは江戸時代後期の上級武士の居住区であったところ。ここには家老屋敷が残されていて、現在、仙石騒動の資料をはじめ、無形文化財の大名行列諸道具など出石藩に関する資料を展示し、「豊岡市立出石家老屋敷」として公開されています。


建物は平屋建に見えるが、内部に隠し階段が仕組まれた二階建です。2階は刀を使い難くするため天井が低く造られ、屋根上への逃げ道も確保されているとのこと。

辰鼓楼の北側は商店や住宅が立ち並ぶ中心街になっています。ここにある「豊岡市立出石史料館」は、主屋、離れ、土蔵で構成される1870年代築の豪商の旧邸を旧出石町が譲り受けたもので、仙石騒動や藩政の記録をはじめとする出石藩関係の史料、古地図、武具、茶臼山古墳からの出土品等が展示されています。


生糸を商う豪商福富家の本邸として、遠く京都から職人を招いて工事に当たらせるなど、贅の限りを尽くして建てられた数奇屋風の近代和風建築も見ものです。


出石の名物で、出石の名を全国に知らしめているのが「皿そば」です。出石のアイコンたる辰鼓楼を中心にして約50軒ものそば屋が並ぶ関西屈指のそば処として知られています。


宝永三年(1706)に出石藩主松平氏と信州上田の仙石氏がお国替えとなり、その際に仙石氏と供に信州から来たそば職人が在来のそば打ちの技術に磨きをかけたとともに、出石焼きの白地の小皿に盛る様式が確立されたとのこと。


官兵衛

出石は「豊岡市出石伝統的建造物群保存地区」の名称で、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。歴史的建造物をはじめ数々の文化財によって歴史にふれることができる魅力ある街です。しかしそれだけではこれほど多くの観光客を呼び寄せることはできません。それができるのは「出石そば」というキラーコンテンツがあることだと確信しています。



湯浅の重要伝統的建造物群保存地区@和歌山県湯浅町

2019-06-10 09:37:30 | まち歩き
和歌山県の中部、紀伊水道に面する位置にある湯浅は、醤油醸造発祥の地といわれ、中世以来の醤油と金山寺味噌の醸造のほか、漁業も盛んであり、熊野参詣道の伝馬所でもあるなど、さまざまな産業が発達するとともに、近世以降は有田地方の中心として、紀中の政治経済を支えてきた街です。
 
紀伊水道に流れ込む山田川の河口近く、川の南岸辺りには、数多くの伝統的建造物が残り、「湯浅町湯浅伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。
 
「バスde温泉」(kurodaが実践する温泉ひとり旅のこと)により白浜を訪れた帰りのこと。きのくに線の鈍行で和歌山方面へ向かっていたが、ふと思い立ち、この湯浅駅で途中下車して湯浅の街を散策してみることにしました。
 
保存地区は駅から北西方向に15分ぐらい歩いたところにあります。この東西約400m、南北約280mの保存地区には、醤油・味噌醸造業関係の町家や蔵などの古建築物が、その多くが未だ現役で多数軒を連ねています。
 
湯浅醤油「角長」もそのひとつで、江戸時代末期、慶応2年(1866年)築造の醤油仕込蔵をはじめ、昔の姿そのままの建物内で、昔ながらの手作りの製法で醤油醸造を行っています。
 
この建物に沿って、醤油を船積みした掘割「大仙堀」も残っているが、手入れが行き届いていないのか、ほぼ干上がっています。浚渫が必要でしょう。
 
さらに興味深いのが甚風呂です。ここは江戸時代の嘉永年間(1848~53)以前に須井甚蔵氏が開業した公衆浴場で、経営者の名前から「甚風呂(じんぶろ)」と呼ばれ、昭和60年に営業を終えるまでの間、長年にわたり地域住民の憩いの場として親しまれてきました。
 
廃業から10年以上過ぎた後、平成13年に町の財産となり、銭湯跡歴史資料館「甚風呂」として内部を公開するだけでなく、明治・大正・昭和期に使われていた古民具を中心に展示。昭和の時代にタイムスリップしたようなノスタルジックな空間となっています。
 
この湯浅の街では、まだまだ商業的に観光地化されていないので、街全体が前時代の雰囲気を色濃く残していることが知られるようになり、いまや国内外の観光客を集めるようになっています。
 
ただ、昔からそのままの古い街路に地元の車が無遠慮に走り抜けて行くのが気になります。多少の不便もあるだろうが、より多くの観光客を集めようと目論むなら、通行規制も考えた方がいいと思います。

「ここに砂場ありき」@西大橋

2018-02-26 13:59:09 | まち歩き

市営地下鉄長堀鶴見緑地線・西大橋駅のすぐ近く、なんの変哲もない公園の片隅に、「ここに砂場ありき」と記された碑が拘留されています。

ここでいう「砂場」とは決して子供が遊ぶ砂場ではありません。ここは飲食業界、特に麺類にはたいへん縁がある場所なのです。
 
豊臣秀吉が大阪城を築城する際に、ここを砂の集積場としたため、多くの人足たちがここに集まりました。彼らの腹を満たすため、当時、ここに蕎麦屋が建ち並んだとのこと。これが本邦の飲食業の嚆矢と言われています。
 
 写真出典: mptakahyさん
  
江戸蕎麦の三大系統は「更科」「藪」「砂場」。現在、その代表店が全て東京で盛業されているが、そのうち「砂場」の屋号を持つお店のルーツは、大阪のまさしくこの場所なのです。虎ノ門の「砂場」の暖簾には「大坂屋」とも染め抜かれています。
 
蕎麦は東京、饂飩は大阪というステレオタイプな認識があるが、蕎麦屋の祖先は大阪だったのです。それも当然、当時の江戸は片田舎に過ぎなかったのですから。
 
現在の西大橋周辺には、オフィスビルやマンションが建ち並び、カフェやレストランも点在しているが、残念ながら蕎麦屋は見当たりません。
折角の由緒なのだから、誰かここで蕎麦屋を開いてみては如何でしょう?

海上自衛隊舞鶴基地@舞鶴

2014-02-17 22:56:08 | まち歩き

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はるばる舞鶴にやってきた(といっても高速バスでたかだか2時間余りだが…)第一の目的は旨いもんを食べること、そしてもう一つの目的はこれ、軍艦(日本では大人の事情で自衛艦と称するが客観的には軍艦にちがいない)のウォッチングです。

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この舞鶴港は日本海側の最も重要な守りの拠点で、最新鋭のイージス艦をはじめ、多くの艦船が配備されています。以前、この舞鶴に来た時は平日だったので、公道からおっかなびっくり護衛艦を写真に収めるしかなかったんだが、今回は土曜。ここでは土日祝日に限って、港めぐり遊覧船で港内を一回りできるとともに、基地の一般公開を行っていて、海の守りを担う艦船群に身近に接することができます。

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先ずは遊覧船で海側からウォッチング。遊覧船乗り場の横には小型艇が並んでいます。すがしま型哨戒艇のネームシップ「すがしま」と「のとじま」ですね。この艇はなんと木造。なんでかというと磁気機雷から身を守るためなんですね。海上自衛隊の掃海技術は世界でもトップレベルだそうで、ペルシャ湾でも活躍しました。

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遊覧船が横を通過するとき、艇上の自衛官がこちらに向かって敬礼してくれました。

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これは多用途支援艦の「ひうち」です。メインテナンスに入ってるようですね。多用途支援艦っちゅうのは各種射撃訓練の支援の他、自走不能になった僚艦や標的艦の曳航・消火・救難・物資輸送・離島に対する災害派遣など多目的に使われている艦。この「ひうち」は2011年3月25日、福島第一原子力発電所に注入する真水を積載した米軍のバージを曳航したとのことです。

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艦首に151を附番されている艦は「あさぎり」です。あさぎり型護衛艦は、海上自衛隊の汎用護衛艦で、はつゆき型の拡大改良型。8隻が建造されたあさぎり型のネームシップですね。

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この艦はイージス護衛艦の「みょこう」です。イージス護衛艦は山の名前から命名されています。

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補給艦の「ましゅう」です。 この艦、テロ対策特措法によって、たびたびインド洋に派遣されています。

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汎用護衛艦の「まつゆき」です。

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さっきから「まつゆき」の横にちらちら見える蛍光色の特殊な塗装がされた艦が気になりますね。

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これは退役護衛艦の「はまゆき」。昭和58年に就航したこの艦は老朽化により平成24年に除籍済。除籍後、標的艦となるべく改修が行われ、この特殊な塗装は的になるためかと。

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この後、射撃訓練の標的として若狭湾北方海域で護衛艦5隻と哨戒機2機による射撃や爆弾投下などの標的となって海に沈み“最後のお務め”を果たしたそうです。90年ほど前、ワシントン軍縮条約による戦艦の保有制限によって、砲撃訓練の的となって海に沈んだ戦艦土佐の例もあるが、現代でも同じことが行われているんですね。

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金沢@石川県

2014-02-09 21:40:59 | まち歩き

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北陸地域の中心的都市であるとともに、国内外から多くの旅行者を集める観光都市、金沢。この金沢の市街が形成されたのは、16世紀半ばに本願寺が布教の拠点として「金沢御堂」を置いたことにはじまります。その後、前田利家がこの地に城を定め、加賀百万石の城下町として発展、藩政時代には江戸、大坂、京都に次ぐ規模の大都市であったとのこと。

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金沢の観光資源として、なんといっても金沢市の中心部に位置する兼六園は外せません。江戸の代、加賀藩により金沢城の外郭に造営された藩庭を起源とする、広さ約11.7ヘクタールの日本庭園です。国の特別名勝であり、日本三名園の一つとしてつとに知られていますね。ちなみにあとのふたつは水戸の偕楽園、岡山の後楽園です。

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金沢城の石川門から旧百間堀の底を道路とした百間堀通りを橋で渡ったところが、この兼六園のメインの入り口。

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明治になって市民の公園として開放されて以来、1976年までは無料で24時間開放されていたとのことだが、現在、維持・保存のために有料。といっても大人300円で一日楽しめると思えば、こんなコスパのいい観光名所はないですね。

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この兼六園では季節ごとに様々な表情を見せるが、なかでも冬の雪吊の情景は情緒が溢れていますね。

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犀川からほど近いところに城下町ならではの茶屋街が今も残っています。「ひがし茶屋街」は、重要伝統的建造物群保存地区に指定され、石畳の再現や無電柱化などの整備がなされたことで、かつての風情が蘇っています。整然と並んだ出格子のお茶屋や石畳が風情を感じさせています。最近は芸妓さんの数も増えているらしいですね。

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お茶屋遊びは一見さんには敷居が高くて無理だが、昼間は内部を公開していたり、気軽に体験できるイベントを開催している施設もあるとともに、建物を利用したカフェやレストラン、土産物店も多数。旅行者でも楽しむことができます。

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金沢の魅力は、食にもあります。藩政時代からもてなしのための料理が根付き、加賀料理として確立されています。地元金沢港で水揚げされる魚介類、加賀野菜として知られる新鮮な山、野の幸などなど…それらの根底を支えているのが近江町市場です。

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むさし交差点の南東側一帯に位置し、約2,8haの敷地に約170店の商店・飲食店が軒を連ねている。石川県特産の加賀野菜や海産物を扱う店が多く、市民の台所としてだけでなく、いまや金沢ならではの観光名所のひとつとなっていますね。

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金沢の食を支えているのは素材だけではない。ここ金沢は料理人のレヴェルが驚くほど高いんです。

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金沢は国のバス利用促進総合対策事業「オムニバスタウン」に、浜松に続いて2番目に指定されていて、バスの弱点である表定速度の遅さの改善や利用者の利便性・快適性向上を、国や県の支援の下、市と事業者で一緒に話し合って解決を試みているとのこと。それによって、ノンステップバスの導入や、コミュニティバスの開設が進んでいます。

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金沢ふらっとバス」も金沢市オムニバスタウン計画の一環として開設された、いわゆる「100円循環タイプ」のコミュニティバスです。これは市内中心部の循環バスということで、観光スポットも沿線には多く、旅行者にも役立つようになっている。これ以外にも「兼六園シャトル」など、観光に使えるバス便が整備されている。

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ただ、一般の路線バスとの補完関係は希薄なような気がします。たとえば金沢駅と中心街の武蔵・香林坊の間は、どのバスでも一律100円にするなど、制度面の改善が望まれます。

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北陸新幹線の開業を来年に控える金沢。新幹線よって、東京方面からの入れ込みが爆発的に増えることが確実な状況で、地下鉄もなく、路面電車を早々に廃止してしまった状況下、多くの需要をバスだけでいかに捌いていくか…金沢の真価が問われるのはこれからです。


交通科学博物館@弁天町

2014-02-02 23:50:16 | まち歩き

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JR大阪環状線・市営地下鉄中央線の弁天町駅からすぐのところ、大阪環状線の高架下にある交通科学博物館に400円の入館料を払って館内に入りました。1962(昭和37)年に「交通科学館」として開館したこの博物館、52年目を迎える4月6日に閉館となってしまいます。今日は子どものころから親しんできたこの博物館にお別れするために来ました。

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ここでは、閉館になる4月6日にかけて、交通科学博物館さよなら企画展「52年の軌跡展」が開催されています。

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約半世紀の間、移り変わる交通体系の中で、交通科学博物館がどのように変化し続け、博物館活動を行ってきたかを振り返り、ご紹介するもので、開館記念入館券、開館頃のパンフレット、交通科学館展示計画、開館式招待者名簿など、普段の展示では目にするもとの無いものが展示されています。昔の「交通科学館」時代の写真、子どもの頃がよみがえるなぁ…

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でも今回、ここに来た本当の目的はこれなんやけどね(汗)

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この博物館では屋内展示と屋外展示があって、屋内展示では日本の鉄道創世記から現代まで、技術の進歩をわかりやすく展示しています。新幹線開業前の大阪駅プラットフォームを再現したジオラマではアマチュアカメラマンが群がっています。

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旧型電気機関車のEF53は地味で人が寄りついていないが、実は貴重な展示なんですよ。

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ここは鉄道だけではない。高速バスの嚆矢となったドリーム号の三菱ふそうB906Rが展示されています。

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この日は閉館企画として特別に、車内に入ることができました。今の目から見たら実に小さいシートです。これで東京・大阪間を乗り通すのはかなり苦痛だったでしょう。この当時、まさかこんな夜行バスが寝台列車を駆逐することになろうとは思いもしなかったでしょうね。

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屋外にも貴重な車両が静態保存されています。キハ81もここだけの展示。

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2年後、梅小路蒸気機関車館を拡張して新しい交通科学博物館がオープンする予定なんだが、この流麗なDD54も梅小路に連れて行ってくれるんでしょうね。

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前回、この交通科学博物館を訪れたのは5年ちょっと前。

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その時の記事に、ここに展示されている車両と同年代の車両(103系)がいまだ現役で、この建物の上の大阪環状線をいまだに走っていると記したが、さすがに数は減らしているものの5年経ってもまだ走っている…それにしてもJR西日本は物持ちがいいというか…車両を使い倒すこと徹底してますね。

  • 開館時間:10:00~17:30(入館は17:00まで)
  • 休館日:月曜・12月29日~1月2日(祝日・学校の春休み・夏休みは開館)
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鉄輪温泉@別府八湯

2013-10-28 09:20:31 | まち歩き

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別府市街と明礬温泉との中間ぐらいのところに位置する鉄輪温泉は、いまだに湯治の雰囲気を残す温泉街です。町なかのいたる所から湯けむりの立ち上る景観は、別府の湯けむり・温泉地景観として国の重要文化的景観に選定されているとのこと。

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この鉄輪温泉も、別府温泉などと同様、単純泉、食塩泉、炭酸鉄泉など多彩な泉質の温泉が湧き出しています。この鉄輪の風物といえるのが点在する貸間旅館にあると言えるでしょう。湯治客はここの湯に浸かるとともに、温泉の蒸気を利用した「地獄釜」で自炊しながら逗留するそうです。

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ここにももちろん共同浴場があります。メインストリートのみゆき坂に数軒、その中には地元の方専用の浴場も。

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この温泉街の中心部に、手軽に地獄釜を利用できる地獄蒸し工房もあり、食材を持ち込みむことも、ここで購入することもできる。

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その傍らに無料で利用できる足湯…ならぬ足蒸し風呂があって、試しに足を突っ込んだら熱くて熱くて…3分持ちませんでした。

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この鉄輪周辺には海地獄、鬼石坊主地獄、山地獄、鬼山地獄、白池地獄など、多くの地獄があって、別府観光の目玉になっています。

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ここから山手の方に向かったところに坊主地獄があり、ここは温泉の噴気とともに自然の泥を噴出させています。これは温泉というよりミニ火山、地球の営みを少しだけ感じることができます。

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この坊主のごとく湧き出す泥を活かした泥湯もあったんだが、どうやら今は閉鎖されてしまったようです。ボロボロでとても温泉とは思えない構えと、その中では駄菓子とか日用品とか売っているという、もうキワモノの類で、マニアの間では結構有名なところだったんですが…

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高級旅館やら湯治宿、地元の共同湯やらキワモノ温泉、地獄、芝居小屋、秘宝館…なんともカオスな情緒を味わえる温泉街といえるでしょう。

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明礬温泉@別府八湯

2013-10-25 09:20:33 | まち歩き

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別府市街からバスで20分ぐらい、明礬温泉は、別府市街から少し離れた伽藍岳の中腹標高400mの所にある温泉です。ここには小規模な旅館街とともに、明礬を採取するための湯の花小屋が建ち並び、その景観は、別府の湯けむり・温泉地景観として国の重要文化的景観に選定されているとともに、湯の花製造技術は、国の重要無形民俗文化財に指定されているとのこと。

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市街地の温泉群である別府八湯の中で、ここだけ異質のひなびた雰囲気。泉質も特徴的で、酸性硫化水素泉、緑ばん泉で、コロイド硫黄を含んで白濁した温泉が多くなっています。ここにも別府市営の共同湯、「鶴寿泉」があります。

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ここには大規模なホテルはなく、中小の旅館が10軒足らず。その中に、日帰りの入浴施設に力を入れてる旅館もあります。

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別府には各所に「地獄」があるが、ここの「地獄」は珍しく入浴できるもの。別府温泉保養ランドにある「紺屋地獄」で美肌効果の高い『ドロ湯』が味わえます。

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この明礬温泉は、昔、今ほどの温泉好きでもなかったワタシが、会社の団体旅行で訪れた際にかなりの衝撃を受け、それ以後、温泉めぐりに傾倒していくきっかけとなったんですね。別府の中でもっとも特徴的な温泉といえます。

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ラクテンチ@別府

2013-10-22 21:54:52 | まち歩き

湯の町・別府の繁華街、流川から流川通りをまっすぐに進むと、いきなり急斜面の山裾となって終端します。この終端こそ「ラクテンチ」のエントランス。この奥、立石山中腹に昭和4年に開園した遊園地があります。

「ラクテンチ」に行くにはこのエントランスからケーブルカー(別府ラクテンチケーブル線)で登っていきます。このケーブルカーがすごい、ドリーム号とメモリー号と名付けられたネコのイヌの着ぐるみを纏った車両です。

すごいのはこのキッチュな装飾だけでなく、路線距離こそ0.3kmと短いが、この区間の最急勾配が558‰という、屈指の急こう配を一気に登ることにもあります。

このケーブルカーがすごい、ドリーム号とメモリー号と名付けられたネコのイヌのケーブルカー、このキッチュな装飾だけでなく、路線距離こそ0.3kmと短いが、この区間の最急勾配が558‰という、屈指の急こう配を一気に登っていくんですね。


ケーブルカーを降りたらそこは別府市内を一望できる山上にある遊園地。それほど広くない園地に各種の乗り物やミニ動物園が集まっています。


ここの名物は1着の的中者には景品が贈られるというアヒルの競争。なんとも脱力やないですか。


遊園地には不可欠のジェットコースターもあるが、急角度の降下や宙返りなどあるはずもなく、小学生低学年でも乗れるまったり系です。


目玉は日本でひとつしかないという二重式観覧車。それでなくても山の上なのに、さら上に持ち上げられ、最高地点で標高約240mにもなるという。これは絶景です。


あと、忘れてはいけない山上の谷間に架かる吊橋を渡ったところにある真新しい建物、ここには入場料さえ払えば誰でも無料で温泉に浸かれる「絶景の湯」があります。


こんな時代に乗り遅れた遊園地のこと、入園者の減少による経営不振から2008年11月 にいったんは休園したが、2009年7月に営業再開。現在はそのノスタルジックな魅力を活かして、徐々に入園者を取り戻しているようです。


別府市がこのラクテンチをモチーフに遊園地が温泉になあるという架空の動画を作成し、YouTubeで公開されて話題になったのも記憶に新しいところです。

昔懐かし、昭和の香りの残る別府の老舗遊園地「ラクテンチ」。有名なキャラクターや、スリル・迫力といったものが皆無ではあるが、世代に亘ってほのぼのと楽しむことのできる、今や貴重な遊園地であることは間違いありません。


別府タワー@別府

2013-10-21 20:19:25 | まち歩き

別府駅から駅前通りを進み国道11号に至ると、なんだかノスタルジックなスタイルのタワーが姿を現わします。この何ともレトロなモニュメントこそ「別府タワー」。竣工は昭和32年、名古屋テレビ塔、通天閣に次ぎ、日本で3番目に建てられた高層タワーです。


初めて別府を訪れたときに、そのレトロでどこか懐かしい姿に共感を覚え、いちど登ってみたいと思ってました。シンパシーを感ずるのも、それもそのはず。設計者が大阪のアイコン「通天閣」と同じ、内藤多仲だからですね。道理で見覚えが…


この内藤多仲、「塔博士」とも呼ばれ、このほかに名古屋と札幌のテレビ塔、博多のポートタワー、そしてあの東京タワーを作った、日本のタワーの父みたいにお方です。

これらの中で別府タワーはたったの90mと最も低い塔ではあるが、今や国の登録有形文化財に指定されているというから大したもんです。低いながらも、展望台からは別府の市街や美しい海岸線が眺望できます。


1960年代には別府観光のシンボルとして年間100万人に及ぶ観光客と修学旅行生で賑わっていたのだが、1970年代に入ると入場者数が減少。さらに、大きな収入源だった広告ネオンサインの契約打ち切りが追い討ちをかけ、経営危機に陥り、一時は解体撤去も検討されたとか。


現在もあまり賑わってるとは言えず、窓ガラスもひび割れたまま。いささか侘しい状態。展望室内には建築当初の別府タワーや、その時期の別府の様子を描き出した写真展が開かれていて、人の表情もみんなキラキラ輝いている賑わうタワーの姿から、余計に侘びしくなる…


展望室内には建築当初の別府タワーや、その時期の別府の様子を映し出した写真展が開かれていました。昭和30年代の賑わうタワーの様子、人の表情もみんなキラキラ輝いている…


一時は閑散となっていた通天閣もあの手この手でV字回復を果たしている例もあるので、なにかしら逆転の手段もあるんではないかと思ってしまいます。