出石のアイコンとなっているのが日本最古の時計台とされる辰鼓楼です。当初は城主登城を知らせる太鼓を叩く楼閣として1871年(明治4年)に完成たものであるが、1881年(明治14年)、旧藩医の蘭方医、池口忠恕がオランダ製の機械式大時計を取り寄せ寄贈したことによって現在の姿の時計台となったものです。
出石城の内堀の近く、内町通りは江戸時代後期の上級武士の居住区であったところ。ここには家老屋敷が残されていて、現在、仙石騒動の資料をはじめ、無形文化財の大名行列諸道具など出石藩に関する資料を展示し、「豊岡市立出石家老屋敷」として公開されています。
建物は平屋建に見えるが、内部に隠し階段が仕組まれた二階建です。2階は刀を使い難くするため天井が低く造られ、屋根上への逃げ道も確保されているとのこと。
辰鼓楼の北側は商店や住宅が立ち並ぶ中心街になっています。ここにある「豊岡市立出石史料館」は、主屋、離れ、土蔵で構成される1870年代築の豪商の旧邸を旧出石町が譲り受けたもので、仙石騒動や藩政の記録をはじめとする出石藩関係の史料、古地図、武具、茶臼山古墳からの出土品等が展示されています。
生糸を商う豪商福富家の本邸として、遠く京都から職人を招いて工事に当たらせるなど、贅の限りを尽くして建てられた数奇屋風の近代和風建築も見ものです。
出石の名物で、出石の名を全国に知らしめているのが「皿そば」です。出石のアイコンたる辰鼓楼を中心にして約50軒ものそば屋が並ぶ関西屈指のそば処として知られています。
宝永三年(1706)に出石藩主松平氏と信州上田の仙石氏がお国替えとなり、その際に仙石氏と供に信州から来たそば職人が在来のそば打ちの技術に磨きをかけたとともに、出石焼きの白地の小皿に盛る様式が確立されたとのこと。
官兵衛
出石は「豊岡市出石伝統的建造物群保存地区」の名称で、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。歴史的建造物をはじめ数々の文化財によって歴史にふれることができる魅力ある街です。しかしそれだけではこれほど多くの観光客を呼び寄せることはできません。それができるのは「出石そば」というキラーコンテンツがあることだと確信しています。