市営地下鉄長堀鶴見緑地線・西大橋駅のすぐ近く、なんの変哲もない公園の片隅に、「ここに砂場ありき」と記された碑が拘留されています。
ここでいう「砂場」とは決して子供が遊ぶ砂場ではありません。ここは飲食業界、特に麺類にはたいへん縁がある場所なのです。
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豊臣秀吉が大阪城を築城する際に、ここを砂の集積場としたため、多くの人足たちがここに集まりました。彼らの腹を満たすため、当時、ここに蕎麦屋が建ち並んだとのこと。これが本邦の飲食業の嚆矢と言われています。
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江戸蕎麦の三大系統は「更科」「藪」「砂場」。現在、その代表店が全て東京で盛業されているが、そのうち「砂場」の屋号を持つお店のルーツは、大阪のまさしくこの場所なのです。虎ノ門の「砂場」の暖簾には「大坂屋」とも染め抜かれています。
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蕎麦は東京、饂飩は大阪というステレオタイプな認識があるが、蕎麦屋の祖先は大阪だったのです。それも当然、当時の江戸は片田舎に過ぎなかったのですから。
現在の西大橋周辺には、オフィスビルやマンションが建ち並び、カフェやレストランも点在しているが、残念ながら蕎麦屋は見当たりません。
折角の由緒なのだから、誰かここで蕎麦屋を開いてみては如何でしょう?
折角の由緒なのだから、誰かここで蕎麦屋を開いてみては如何でしょう?