吉野大峯ケーブル自動車は、桜で有名な吉野山を一気に登るロープウェイと、吉野山内の路線バスを運行する、従業員数がたった15名という小さな事業者です。
このロープウェイは1929年開業。近鉄吉野駅近くの吉野千本口駅から、距離にして約350m、高低差が約100mの吉野山駅の間を往来している、日本に現存する最古の路線。
RA型ロックドレールロープ式というケーブル2本の間にぶら下がる旧式の極めて珍しい方式で、日本機械学会により機械遺産に認定されています。ワイヤーケーブルなどは随時更新されているものの、支柱は1928年に建築されたそのままだそうで、3分の乗車時間中、ある意味スリリングな体験ともいえるが、85年間、無事故で運行している実績があるので安心できます。
近畿車輛製造のゴンドラは28名乗りの3代目で、それでも1966年(昭和41年)だから相当なベテラン。長らく近鉄特急と同じオレンジとブルーのカラーリングながら、近鉄とは関係のない別会社です。なんでも、経費を浮かすために近畿車両に余っていた塗料を使ったからとか。今は2台とも新塗装に塗り替えられており、それぞれ白地に桜の模様をあしらった塗装と、白地に楓の模様をあしらった塗装となっています。
バス路線は吉野山駅から奥千本の間を、日中のみ60分ごとに運行しています。春には道路が花見客で混雑し、定時運行がままならないので、吉野山駅から「上千本」として知られる竹林院前間は運休し、竹林院前から奥千本間のみを増発して運行します。また、冬季の一部期間は全線運休となるようです。
車両は三菱ふそうのローザや、トヨタのコースターといった、いわゆるマイクロバス。メーカー標準塗装のカラーリングで、あたかも旅館の送迎バス。乗車する際に運転士から目的地までの切符を購入するスタイル。昔の車掌さんのような業務を運転士が行っています。
古いものを大切に使っているこの会社、1990年代初めまで、ボンネットバスのエンジンの上に運転席を据えた、実にクラシックなキャブオーバー型バスで運行していたことでも知られています。これを保存してたら、名物になっていたはずなんですが。
幸い乗客15人に怪我はなかったが、近畿運輸局による行政処分や、資金調達が難航して設備の更新が覚束なくなるなど再開の目処が立たず、2018年の桜の時期も休止状態でした。
ようやく今年(2019年)の3月23日から火・水・木曜はバス代行ながらロープウェイが再開されました。運輸事業者は安全が命。一層安全に留意して日本最古のロープウェイを守ってもらいたいものです。
紀勢線の特急オーシャンアローに乗って、本州の最南端のところへやって来ました。太地駅で降りた目的のひとつは、この「太地町町営じゅんかんバス」に乗ることです。
このバスは、和歌山県東牟婁郡太地町にて運行しているコミュニティバスで、JR太地駅と太地町内各所を結び、地域住民や観光客の足となっています。もともとは吉野熊野観光自動車が運行していたもので、その後、南紀開発を経て奈良交通に吸収されて奈良交通太地線となりました。ここでも御多分に洩れず、利用者の低迷により奈良交通が2001年にこの路線を廃止することになり、それを引き受ける形で、太地町が町営バスとして運行するようになっています。
最近は日野・ポンチョも導入されているようだが、今回、駅前で待っていたのは日野・レインボーHR。それでも車齢はまだ若そうです。さて、いざバスに乗り込もうとすると、運転士さんの顔に見覚えがある。十津川特急でよくお世話になっていた奈良交通のNさんです。そのバスは運行を奈良交通南紀営業所に委託しているからですね。でもこのNさん。もう2回リタイヤされていて、ここで嘱託として3度目のお務めだとか。よっぽどバスが好きなんですねぇ…
奈良交通のときのバスボディーには通常は鹿のマークの代わりにこの路線だけはクジラになっていたとか。ユニークですね。現在ではそれらしいマークはなく、太地町の町章があるのみ。この町章もクジラかイルカをモチーフにしたに違いないが、ぜひともボディーにクジラのマークを復活して欲しいもんですね。
鞆鉄道株式会社は、広島県第二の都市、福山市の福山駅と松永駅を中心とし、南西部にエリアを広げるバス会社。バス会社なのに「鉄道」と称しているのは、かつて、福山駅と鞆の浦の景勝で知られる鞆の間をナローゲージの軽便鉄道で結んでいたからです。1954年にこの軽便鉄道を全線廃止し、以後はバス専業となったが、蒸気機関車の煙突がラッキョウの形に似ていたので「ラッキョ汽車」と呼ばれ、親しまれていた鉄道の号を現在まで社名に残しています。さすがに一般的にはトモテツバスという通称の方が通っているようですが…
福山駅と鞆の浦と結ぶかつての鉄道線を継承する路線は現在でもメイン路線で、重要な生活路線であるとともに観光路線でもあるため、大型車で運行され、運行本数も豊か。現在、この路線を春と秋の特定期間、土日祝日限定で昔懐かしいボンネットバスが運行しています。一日4往復、運賃は530円です。真夏に運行しないのはエアコンが無いからでしょうか。乗客はともかく運転士は大変だろうからね。
車両はいすゞ・BX。これはいすゞ自動車が1947年から1970年の長期に亘って製造していたバス車両で、この車は1958年製造のBX341。前照灯2灯の正面のデザインは、同じボンネットバスでも比較的よく見かける前照灯4灯のいすゞBXDより古いタイプ。地元福山の福山自動車時計博物館が整備した車両ですね。
車内もほぼ原形を保っています。手作り感が溢れる運転席のインパネや板張りの床など、なんともレトロですね。
エンジン音は軽快で、いささかの古さも感じさせない。相当念入りに整備されているんでしょう。福山市郊外を調子よくスイスイ走り抜けます。
レトロバスのお約束、ぴょこんと飛び出る方向指示器はここでも健在。ボンネットバス特有の丸っこいお尻が堪らんほど愛おしくなる。
こういったボンネットバスは一時、各地でリバイバルされていたが、徐々に少なくなっています。問題は排ガス規制。今や都市部ではなかなか見ることはできません。福山の都市部を走り抜けるこのボンネットバス。本当に貴重ですよ。
福山駅の北口より、福山城の横を通り抜けて北へ15分ほど歩いたところ。閑静な住宅街の中に突如、南極観測隊の雪上車が出現したのですぐ分かりました。
玄関ではオバマ大統領の蝋人形がお出迎えしているのでまたまたド肝抜かれます。ちょっと「パラダイス」的な感じもしますが…ここは地元の自動車愛好家の企業人が開設した私設の博物館なんですね。その名のとおり、クラシックな自動車と時計をメインに据えて展示しています。
ここのキャッチフレーズは「のれ!みれ!さわれ!写真撮れ!」。日本の博物館としては珍しく、展示物の撮影や、多くの展示車両はドアを開けて乗り込むことができる。これら、その独特な運営方針によって一部愛好家にはかなり知られた博物館です。
玄関あたりには膨大な量の時計が並んでいます。置時計や壁掛け時計、懐中時計…さらに時計台の大きな時計まで展示してあります。これら昔の時計は内部が見えるので、振り子や錘など、電気以前の時計の原理がよく判ります。
博物館はこのくらいにして外に出ましょう。道を隔てた筋向いの駐車場、ここに本日の大目的があるんですね。完全にレストアされたボンネットバスと、レストア待ちの車が無造作に置かれています。写真の2台は日野のBHですね。
BHの隣に居るのは日産のU690です。ええ、日産自動車です。日産ディーゼル(現UD)ではなく日産。昔は大型バスも作っていたんですね。
日産車の奥に居るのはトヨタのDB100です。これも意外でしょ!トヨタも大型バスを作っていたんです。
駐車場の奥のほうにはレストア待ちのバスが…ウワァ!!!日野のブルーリボンやぁ!これ、非常に珍しいセンターアンダーエンジンバスですよ。横腹に「MEIKO BUS」と書いてある。和歌山・白浜の明光バスでしょうか。早くレストアして欲しいなぁ…
別の駐車場にはかなり酷い状態のバスが野ざらしになってます。手前は恐らく日産のU590、奥はトヨタのFB80ですね。
日産車の中を覗いてみたら銘板が残っている。ボディ製造は新潟の北村製作所なんですね。
この博物館スタッフは自動車整備にかなりの技術を持っていて、捨て置かれて朽ち果てた古いバスを多数取得し、普通に動いてナンバープレートが得られるまでの状態に復帰させています。展示品自体の貴重さもさることながら、自走可能なコンディションを再生させる技術力から、これら展示品は映画撮影やイベントなどの貸し出しに、引く手あまたのようです。この博物館、バスマニアにとっては正真正銘の「パラダイス」ですね。
- 入場料:大人900円、中高生600円、小人300円
- 開館時間:9:00~18:00
- 休館日:年中無休
エンジンの代わりにモーターを積み、トロリーポールを立てて架線から電気を曳いて走るとローリーバス。その昔、大阪の梅田や天王寺付近を、市電を補完する形で走っていたこのトロリーバスも、日本では今やこの黒部でしか見ることができません。長野県大町市の扇沢と黒部ダムを関電トンネル (5.4km) を介して結ぶ、関電トンネルトロリーバスと、富山県立山町にある標高2450mの室堂平の中央に位置する室堂駅から、立山ロープウェイとの連絡駅の大観峰駅までを結ぶ立山黒部貫光のトロリーバス、この2路線こそ国内ではここだけになってしまったトロリーバスです。
関電トンネルトロリーバスは1964年開業、路線距離(営業キロ)が6.1kmの、そのほとんどが関電トンネル(大町トンネル)内の路線です。
このトンネルは、関西電力黒部川第四発電所関連施設の建設のために建設され、1958年に貫通したもので、現在でもトロリーバスの運行のみならず、黒部峡谷ルートとともに、維持用資材輸送にも使用されているとのこと。このトンネルこそ映画「黒部の太陽」の主な舞台として知られていますね。
車両は現在この300形のみで、1993年から使用開始の3代目。15台在籍で大阪車輌工業の製造です。この会社は以前は電車も作っていたようだが、今はケーブルカーやロープウェイなど、特殊な車両を造るのを得意としているメーカーで、日本で唯一のトロリーバスのメーカーです。
いっぽうの立山黒部貫光無軌条電車線は、開業が1971年、路線距離(営業キロ)3.7kmの、こちらも立山トンネルの中を走り抜ける路線で、当初は普通のディーゼルエンジンのバスで運行していたが、環境保護の観点から1996年にトロリーに転換したとのこと。確かに断面の小さいトンネルをディーゼル車が走っていては、かなり排気ガス臭かったことでしょう。
車両は8000形で、関電トンネルの300形とほぼ同型、こちらももちろん大阪車輌工業製ですね。
バスは走行区間の殆どをトンネルの中を進みます。想像の通り、トンネル内にもかかわらずエンジン音が唸ることも無く振動もない。モーターで動いているので当然ですね。環境問題がクローズアップされている現在こそ、こういったトロリーバスが都市部でも復権したほうがいいのかもしれませんね。
ただしこのトロリーバスは法律上は鉄道に分類され、軌道法または鉄道事業法が適用される。そのため、運転士は大型二種免許に加え、動力車操縦者運転免許も必要とのこと。簡単ではなさそうです。
なお、扇沢駅の一角に関電トンネルトロリーバスの資料が展示してあります。これはマニア垂涎ですよ!
鳥取駅を出発して、鳥取砂丘、「山陰の松島」と呼ばれる名勝浦富海岸を経由して岩井温泉まで、レトロなボンネットバスが季節運行しています。これは、バス路線がない景勝地に観光客が訪れやすいようにと、岩美町が広島県の福山自動車時計博物館から購入したボンネットバスを、鳥取のバス会社、日本交通に運行を委託して実施しています。
車両はいすゞのBXDで、昭和40年製とのこと。ボンネットバスは山間部や狭隘路線を走るのに便利なため、いすゞのこのタイプは昭和の40年代後半までは製造されていました。この正面のデザイン、最近まで消防のポンプ車でもよく見かけましたよね。
丸っこいお尻や板張りの床など、なんともレトロ!今のバスに比べたらシートが小さく、かなり窮屈です。もちろんエアコンがないので、窓を全開にして走っているんだが、このほうがエアコンより快適に感じます。
運転席も手作り感が溢れています。メーターやスイッチの配置もいたってシンプル。しかし今の車と違ってパワステがないので、運転士は交差点の度にキツい労働を強いられる。
でも乗客は交差点の度に、レトロバスのお約束、ぴょこんと飛び出る方向指示器を楽しむことができます。
トンネルに入ると車内灯が点くが、白熱灯の赤っぽい光なのでこれまた萌え!
車掌の話によると、運行経費や交換部品の関係で、毎年のように運行の危機に晒されているそうです。幸いにして今年は5月から運行を始めるようですが…「乗って残そうボンネットバス!」
岡山市から岡山県東部の美作市や赤磐市周辺に路線を設けている小さなバス会社です。
湯郷温泉を訪ねた際、この温泉地から岡山まで乗ってみることにしました。
別に岡山に目的があるわけではなく、ちょっと風変わりなバス会社の宇野自動車(株)に興味を感じたためです。
このバス会社の全車両が三菱ふそう車で、シックなカラーリングは高級感が漂います。
現在のノンステップ化の風潮に抗って、2ステップの車両ばかり。
なんでも、ノンステップにすると座席が減ってサービスダウンになるからとのこと。
確かに短区間利用の少ない路線では確実に座れる座席が多いほうがいい。
それでも乗降しやすさに配慮して、全車両を小径タイヤに交換し、ステップ位置を下げているそうです。
ユニークな経営戦略で、どのバス会社も経常赤字に苦しんでいる中、ここは開業以来、いちども赤字になったことがないという。
ホームページの会社案内には社長挨拶や企業理念が話し言葉風なのがユニークで、ついつい読まされてしまいます。
この会社のバスに対する深い想い…いいなあ。
大阪市バスの5A系統、三宅中行きのバスに乗って、松原市の三宅地区にやってきました。
ここにきたのは、松原市の天美北地区と地下鉄あびこ駅を結んでいる、大阪で最もマイナーなバス会社、日本城バスに乗るためです。
このバスは、この辺りを拠点とするタクシー会社が、1985年より大阪市営地下鉄御堂筋線あびこ駅前から松原市の天美西・天美北方面に1路線を運行している路線で、全国のコミュティーバスの先鞭といわれています。
運転間隔は10~20分毎。本数が多く、わかりやすいダイヤなので沿線の通勤・通学などの利用も多いとのこと。
バスの写真を撮っていると、ワタシをバスヲタと察した運転士が、あまみ神社前のバス停で「バス車庫があるからここで降りて写真撮ってこい」っと、で半ば強引に降ろされました。
バス車庫には新旧のイスズの中型車が並んでおり、中にいた社員の了解を得て敷地内で写真を撮っていると、「撮りやすいように、車を前に出したろか?」っと声をかけられました。
ここで判ったのが、先程ワタシを無理やり降ろした運転士はこのバス会社の社長さんだそうです。
こんな小さいバス会社だからこそ、バスに対する愛に満ち溢れているのかなぁ…
このバス会社は、和歌山県の白浜に本社を置き、白浜町や田辺市に路線を広げています。
近鉄グループに属するが、昭和30年代、この地域を巡って南海電鉄と近鉄による覇権争いがあり、その名残で、南海も同社の大株主となっています。
白浜駅と紀伊田辺駅を拠点に、田辺市内と白浜町内を中心に運行。地元の足をになうと共に、白浜では観光路線と使途の性格も持っています。
このバス会社には高速路線もあり、JR大阪駅~なんばOCAT~紀伊田辺駅~白浜アドベンチャーワールド間を西日本JRバスと共同運行する大阪-白浜線。
他にも、西日本JRバスと共同運行神戸-白浜線 。和歌山バスと共同運行の和歌山-白浜線があるが、特に大阪-白浜線は好調で、徐々に便数を増やしていき、写真のように新車の日野セレガも導入、現在1日8往復となっています。
いっぽう、高速バスではないが、白浜古賀浦~南紀白浜空港~白浜駅~本宮大社前~新宮駅を結ぶ熊野古道スーパーエクスプレスを運行しています。
これを使うと、白浜温泉・白浜空港から一直線で熊野古道を訪れることができ、飛行機利用の観光客には人気です。
明光バスの車両のほとんどが日野自動車製。自社購入車に加え、近鉄バスからの移籍車両も。
近鉄バスから近年移籍してきた車両は、近鉄バス時代の塗装を変えることなく使用しているので一目瞭然。
他にも京阪バスや大阪市交通局からの移籍もあるようで、京阪からの移籍車両は左フロントに歩行者確認用の小窓があるから、すぐ判りますね。
明光バスの現在の車体色はブルー一色だが、今でも旧車体色のブルーと白の波模様も残っています。これに加え近鉄バスカラーもあるから統一性に欠けるなぁ…
ローカルのバス会社はどこも厳しい運営を強いられているなか、この会社ではレインボーのノンステップバスとか、これからのコミュニティーバスの決定版、日野ポンチョを導入しているます。
かなりがんばっている部類ではないかな。