別府温泉は、広義では別府市内にあるそれぞれ特徴を持ついわゆる別府八湯とされる温泉群をいいます。しかしそれとは別に、海に近い平地の部分、JR別府駅周辺の賑やかで数多くの旅館や飲食店が立ち並び市街地にある温泉に限定される場合があります。ここでいう別府温泉は、その狭義の温泉街です。
ここは、江戸時代の温泉番付にも登場する古く名泉とされてきた温泉地で、市内中心部を流れる流川の川沿いにいくつもの温泉が湧き出し、狭い地域に単純泉、食塩泉、重曹泉、重炭酸土類泉など多数の温泉が湧いています。
ここには旅館だけでなく、住民のための共同温泉も多数存在し、ここは観光客にも廉価で開放されています。その代表格が入母屋破風の外観を持つ別府市営の「竹瓦温泉」です。
この竹瓦温泉と、その間近の商店街にあるアーケードは、「別府温泉関連遺産」として、2009年に近代化産業遺産に認定されているとのこと。しかし、シャッターの閉まった店も多く、どう見ても寂れた地方都市にしか見えません。
なんだかなあ…っと思っていたんだが、夜になると激変、ネオン眩しい盛り場の顔を見せました。スナックやらラウンジやら…しかも、少し裏通りに入ればあらゆる種類の風俗店も林立しています。
おっさん一人がこんなとこをウロウロしてたら、まさしく鴨がネギを背負って歩いているようなもので、あちこちからお声がかかります。こんな清濁あわせ持つ姿こそ、成熟した温泉街の情緒ですね。
別府温泉がここまで発展したのは、その豊富な湯量にあるだけでなく、港があることに重要な要素です。今でも定期航路が大阪港と直結しているが、新幹線のない昭和初期には、阪神・別府間の航路は日本を代表する花形航路でした。
こがね丸(1936年) 商船三井ホームページより 「くれなゐ丸」「こがね丸」「にしき丸」といった豪華な新鋭船が京阪神からの観光客を送り込んでいました。織田作之助の代表作『夫婦善哉』の続編(『続夫婦善哉』)の原稿が2007年(平成19年)に発見され、話題になったが、この続編の後半は別府が舞台で、大阪・天保山から別府までの船旅の様子が詳細に描かれています。
帝国海軍重巡洋艦「鳥海」 また、時には水兵さんの保養のために海軍の軍艦が横付けすることもあったとか。「鳥海」「摩耶」「高雄」「愛宕」など最新鋭重巡洋艦を擁する第二艦隊29隻や、船艦「陸奥」などが別府湾に停泊し、温泉街を賑わしたとの記録が残っています。若い兵隊さんが少々羽目を外したこともあったのかもしれませんね。
現在の別府における交通の拠点・別府駅の近くに、非常に便利のいい場所にも温泉があります。「駅前高等温泉」は温泉だけでなく、バックパッカーにありがたいドミトリーでもあります。
駅前から繁華街を海の方に進めば別府のシンボル「別府タワー」が屹立するとともに、規模の大きなホテルが建ち並びます。ホテルでは温泉情緒は味わえないが、一人旅にはドライなホテルも気楽でいい。こんなホテルでも大浴場があって、もちろん掛け流しの温泉が楽しめます。
今でこそ別府駅周辺が繁華街だが、その昔はもう少し南側の流川通りが最も栄えた繁華街でした。織田作之助の作品『湯の町』にも“流川通りは別府温泉場の道頓堀だ”と描写されています。『夫婦善哉』のモデルといわれる織田の実姉の山市千代夫妻が別府に移り住んでから、織田もたびたび別府を訪れていて、別府の持つ街の息吹が大阪の市井に通じるものがあり、親近感を持ったからだと言われています。
この流川通りの路地裏に、いかにも織田が好みそうな旅館があります。そして流川通りの「どんつき」(大阪弁で言う突き当たり)には、なんともレトロな遊園地があり、なんとその遊園地内にも名泉があるのです。
12万人近い人口を持つ大分県第2の都市・別府市。その市民生活のなかに温泉がいかに密着していることがよく解るのが「別府市民憲章」です。そこで謳われているのが以下の通り。
・美しい町をつくりましょう。
・温泉を大切にしましょう。
・お客さまをあたたかくむかえましょう。
これぞまさしく日本一の温泉都市。われわれ旅行者は別府市民の思いを胸に温泉を楽しむべきかもしれません。