バスde温泉

バスで行く温泉旅日記

旅館食堂 くり屋@指宿(山川)

2011-06-30 23:27:52 | 料理(和食)

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JR九州、指宿枕崎線の山川駅を降りてすぐのところにある旅館食堂です。ここは安くて美味しい魚料理があると評判の、旅館というよりは合宿所みたいな気の張らないお店。店内はかなり広くてテーブル席が50席ぐらい、小上がりには20人ぐらいが入れるでしょうか。

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この山川も漁港だが、このすぐ近くにはカツオの水揚げで有名な枕崎漁港もあり、この辺り一帯はカツオが名物。そしてこのお店も一押しとのことなので「かつおたたき定食」(950円)を注文することに。さっそく運ばれてきた定食にはカツオの上に玉葱が山のように盛られています。

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玉葱の下にはタタキがズラッと並んでいて見事なボリウム感。タレはポン酢ではなく甘酢のようです。量もたっぷりです。さっぱりしたタレは美味しいが、ただ、カツオは意外に普通。期待が大きすぎたのでしょうか。

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相方は車海老フライ定食(1,200円)を。立派な2尾の海老が横たわっています。少し頂戴したのだが、身は甘くサクサクの揚げ具合も申し分ない。ただ、タルタルソースが出来合いのものでフライの旨さに負けてしまう。これならウスターソースを掛けて頂くほうがいいかも。

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カツオのタタキが物足りなかったので、カツオとミズイカのお造りを追加注文しました。カツオはモッチリとした食感で、旨みも申し分ない。タタキより断然こちらの方がいい!

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ミズイカはこの辺りの呼び名で、アオリイカのことです。これがまた甘くて美味しい。この甘い身に鹿児島特有の甘い醤油をつけて頂くと実に旨い。追加注文してよかった。

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店内で目に付いたのが壁一面に並べられている運動部名を記入した黒板です。このお店がさまざまな学校の運動部の定宿となっているようです。この旅館に泊まっての合宿、さぞや美味しいものを食べさせてくれるんでしょうね。

  • 営業時間:7:00~22:00
  • 定休日:不定休
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旅館食堂 くりや 定食・食堂 / 山川駅
昼総合点★★★☆☆ 3.5


阪堺電車@大阪・堺

2011-06-25 22:36:53 | 乗り物(路面電車)

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阪堺電車は大阪に残る唯一の路面電車で、大阪市内と堺市内を阪堺線・上町線の2路線を運行しています。上町線は、天王寺駅前駅から住吉公園駅までを結ぶ路線で、1900年(明治33年)、大阪馬車鉄道が天王寺南詰から阿倍野(現在の東天下茶屋)間を開業したのがその前身。阪堺線は恵美須町駅から堺市の浜寺駅前駅までを結ぶ路線で、こちらは1911年(明治44年)に恵美須町から市之町(現在の大小路)間を開業したのが創始です。

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公共交通である路面電車は、エネルギー消費や二酸化炭素排出量の点で全国的にも見直され始めているが、この阪堺電車では、特に堺市内区間の乗客の減少で廃止も囁かれるようになりました。さすがに廃止するには影響も大きいようで、最近になっていろいろ手を入れてきていて、上町線と阪堺線の直通運転の開始や、大阪市内と堺市内を跨るときに発生していた2区間運賃(290円)を止めて全線1区間運賃(200円)としたことなどが奏功して、ようやく乗客の数も上向きになっているようです。

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この阪堺電車の車両すべてが車体長14mの大型車両を採用しています。このすべてが1または2ステップ車で、低床車両が今だ1両もありません。また、このモ161形は今だ非冷房。古い車両を大切に使っているといえば聞こえはいいが、実のところ車両の更新もままならないのが現実です。ちなみにこの車両は日本において定期運用される電車としては現役最古の車両とのこと。

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このほど、阪堺電気軌道開業100周年を記念して、ニス塗りのドアや鉛丹色の屋根など、昭和40年当時の状態に復元。主に貸切用として運行を開始しました。車内は真鍮の磨きだしもしているようで、ぜひ一度乗ってみたいもんです。

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モ501形電車は、1957年に走り始めた車両で、運転席窓を広く取った3枚窓のデザインは、PCCカーとして高性能を誇っていた大阪市電3001形に準じたスタイル。大阪市電3001形同様、台車の枕バネにベローズ式の空気バネを使用するなど、走行装置にも当時の最新鋭技術による豪華なものが装備されました。この車両は熊本市交通局5000形電車と共に、カルダン駆動を現在でも採用している希少な車両です。

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1962年に登場したモ351形電車は、モ501形とほぼ共通設計の全金属製の車体だが、主電動機などは旧車からの流用でコストを抑えたもの。しかし、台車は流用せず、空気バネを使用した当時の高性能車です。

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モ701形電車は、1987年に登場した久しぶりの新車。現在の主力車両です。電気指令式ブレーキに加えワンハンドルマスコンを採用した高性能車。強力なブレーキ力のために、車の追突を防止する目的で前照灯の横にブレーキランプが設置されています。最近、Z型パンタグラフからシングルアームパンタグラフへの換装が始まっています。

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モ601形電車は、1996年から1998年にかけて7両が東急車輛製造で製造された車両で、モ350形と同様完全な新造車ではなく、制御装置・ブレーキ・営業機器などはモ121形(旧大阪市電1601形)のものの流用でコストを抑えています。

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この阪堺電車、天王寺駅周辺の巨大な再開発で再び脚光を浴び、乗客も戻りつつあるものの、やはり堺市内区間は苦戦中。広い道路の真ん中にセンターリザベーションされた区間は、車には邪魔されずに走れるものの、信号に引っかかるのは車と同じだし、電停に行くには歩道から横断歩道を渡らなければならない。以前は先進的なセンターリザベーションも、現在では合ってないような気がします。電車優先の信号や、堺東駅と結ぶ東西軌道の新設など、抜本的な対策が望まれるところです。

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梅小路蒸気機関車館(車両)@京都(梅小路)

2011-06-18 10:52:55 | 乗り物(鉄道)

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明治時代から昭和にかけて、日本の鉄道輸送を支え続けた蒸気機関車を動態保存している、日本で唯一の蒸気機関車の博物館。ここには日本を代表する多数の蒸気機関車が保存されています。

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扇形庫に入って最初に目にしたのが、旅客用としては日本最大の蒸気機関車、C62です。ここ梅小路で保存されているのは、デフレクターにツバメのマークの付いた2号機。

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このC62は単にでかいだけでなく、流麗でグラマーな美しさがある。一応動態保存だがあまりにでかすぎて、実際に走る機会がない。一度見てみたいものだが…

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次に目にしたのが1080型蒸気機関車。いわゆるネルソンですね。これは、保存機の中ではいちばんの旧型ながら、この梅小路ではいちばんの新参者。2009年9月14日に日鉄鉱業からJR西日本へ譲渡された車両です。

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C61は有名なD51を旅客用にするため動輪を3軸にした車両。バランスの取れた美しさがある。

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8620型は1914年製のかなりの古参。古い車両ながら使い勝手のよさで末期まで生き残っていた機関車です。訪れたときはデモンストレーション走行を行っていました。100歳近いのにもかかわらず元気ですね。

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9600型は8620型と同世代の貨物型。この型は最後まで現役だった蒸気機関車です。

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C51は大正期の代表的なパシフィック型、C53はそれに続く3シリンダーの強力型です。

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同じくパシフィックのC55 です。C53の3シリンダーで整備に苦労したので再びオーソドックスな2シリンダーに戻した機関車。気品ある姿はこれに続くC57で「貴婦人」の称号を得るんですね。で、その「貴婦人」は現在山口線へ出稼ぎ中。その姿を見ることはできませんでした。個人的にはボックス動輪のC57よりスポーク動輪のC55こそ「貴婦人」としてふさわしいと思うんだが…

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C56はローカル線用の小型機。訪れたときは整備後の試運転をしていました。側線でスタートダッシュを何度も何度も。そのたびに迫力あるドラフト音を響き渡す。いちばんの小型機なのにこの迫力…これが大型機だったらどれほど迫力があるかと思います。

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C58は亜幹線用の万能機。少し小型です。お召し用の装飾が施されています。

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C59、これは個人的にいちばん好きな機関車なんですね。旅客用ではC62に次ぐ大きさで、スマートな美しさがある。

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D51は最もポピュラーな蒸気機関車。貨物用ながら、その使いやすさで旅客用としても多用されました。この1号機は煙突と蒸気溜めのドームが一体となった半流線型。

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ここ、梅小路には他にもD50やD52なども展示されています。ちょっと気になったのが蒸気機関車に繋がれた状態で屋外放置されている客車のオハ46。昭和の雰囲気がムンムンしていますね。整備して蒸気機関車に引かせてほしいもんです。

  • 訪問日:2011年5月21日
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梅小路蒸気機関車館(施設)@京都(梅小路)

2011-06-16 22:20:20 | まち歩き

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JR嵯峨野線の丹波口駅から15分ほど歩くか、京都市営バス205系統・208系統・33系統で梅小路公園前BSで降りるかと公式には案内しているが、JR京都駅から西へ、京都の町家の並びをブラブラ20分ほど歩いた方が余程楽しいと思う、蒸気機関車の保存展示施設です。ここは西日本旅客鉄道(JR西日本)が所有し、財団法人交通文化振興財団が運営する、あまりにも有名な日本で唯一の蒸気機関車のサンクチュアリですね。

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1972年、当時の国鉄により日本の鉄道開業100周年を記念して、京都駅の西側にある梅小路機関区の扇形庫を活用して開設され、爾来、日本の鉄道輸送を支え続けた蒸気機関車を動態保存してきた施設です。

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1987年の国鉄分割民営化によってJR西日本が運営を引き継いだが、その後、連続立体交差事業によって取り壊されそうになった旧二条駅舎を移築・復元し、「資料展示館」としてさらなる拡充を果たしています。

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扇形庫は、1914年に建設された鉄筋コンクリート製のもので、5t電動天井クレーン(1915年完成)、引き込み線とともに国の重要文化財に指定されています。この扇形庫に保存されている蒸気機関車一式、および点検修理の工具一式などが準鉄道記念物。この一帯が近代産業遺産といっていいでしょう。

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扇形庫には、蒸気機関車17形式19両が収容・展示されています。開館当初にはC53 45とC51 239の2両を除き15両に車籍があったが、その後保存対象車両の見直しが何度か行われ、現在は動態保存機は7形式7両となっています。そのうちの5形式5両は現在も車籍を持っていて、C57 1とC56 160は、山口線の「SLやまぐち号」や北陸本線の「SL北びわこ号」などで活躍しているのはよく知られていますね。

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扇形車庫の前には転車台が据えられ、動体保存された機関車の扇形車庫への入出庫作業を支えています。訪れたときはデモンストレーション運転を終えた8620型車両が入庫するところ。転車台は通常なら角度を変えるぐらいの回転しかしないが。デモンストレーションなのでグルグル1周以上回転させるサービスを…「いつもより余計にまわっています!」

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この日は通常のデモンストレーション走行のほかに、C56の試運転があったため、試走後の整備の様子も見ることができました。火室の燃え残りの石炭を排出し、新しい石炭をテンダーに積み込む。やっぱり蒸気機関車は手間がかかりますね。

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この梅小路蒸気機関車館、大阪の交通科学博物館が老朽化し手狭となってきたため、この蒸気機関車館を拡張して新しい博物館を建設し、車両などの展示品の一部を交通科学博物館からこちらへ移設する構想があるようです。そうなれば関西の鉄道博物館に成長することになるでしょうね。弁天町が寂しくなるが…

  • 訪問日:2011年5月21日
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瀞峡@新宮市・紀和町・十津川村

2011-06-08 23:50:44 | 景勝地

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大峰山系を源流域とする熊野川(十津川)と、日本有数の多雨地帯である大台ヶ原を源流域とする北山川とが合流する辺りから、北山川を少し遡ったところは、豪雨と急流により削られた深い渓谷が続いています。峡谷の両岸に高さ50mにおよぶ断崖、巨石、奇岩、洞窟が1km以上続く日本屈指の景勝渓谷を誇るこの辺りは、上流から、奥瀞、上瀞、下瀞と呼ばれる、いわゆる瀞峡(どろきょう)です。特に下流部の瀞八丁は国の特別名勝および天然記念物として特に著名ですね。

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この古くから名勝と讃えられている瀞峡を、熊野交通が運営する観光船で巡ることができます。この船はウォータージェットという特殊な方式で推進する珍しい船。水深の浅い北山川では、普通の船では川底にスクリューが支えてしまう…なので、ポンプで水を噴出して推進するウォータージェット方式にしています。

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志古乗船場から勢いよく水しぶきを上げて熊野川を少し上流へ進み、北山川へ入ってしばらく行くと、この辺りは人家もほとんどなく、まさに自然だけの景観。いよいよ瀞峡ですね。

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突如カモシカが現れたりします。気候のいい時期なら川風も気持ちいい!

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予約しておけば途中の田戸乗船場で乗降も可能。この近くに観光・保養施設の瀞流荘と、そこから観光用に復元された紀州鉱山のトロッコに乗って湯の口温泉に行くことができます。

  • 湯元山荘@湯の口温泉

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さらに上流に遡って、いわゆる瀞八丁に到着。ここで暫しの休憩の後、再び下流へ戻ります。ここには十津川温泉や十津川村役場前から奈良交通バスで陸路で来ることも可能。いちど陸路で来てみたいですね。

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この観光船、確かに景色は絶景なんだが、テープレコーダーの安っぽい観光案内や無理やり撮られる集合写真など、昭和の団体旅行といった趣き。これには興ざめですね。ひとり旅にはどうなんだか…そんなツッコミどころもともかくとして、やはりこの絶景にはいつも魅せられてしまいます…

  • 訪問日:2009年8月12日
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尾道@尾道市

2011-06-06 22:24:35 | まち歩き

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尾道は、瀬戸内海に面した古くからの港町で、近代になると造船の町としても繁栄していた広島県の一都市です。市内中心部は北側の山と南側の海に挟まれているため、東西に延びる国道2号と山陽本線に沿って形づくられています。

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初めて訪れた時は、新幹線の新尾道から尾道市交通局の路線バスに乗り換えて尾道の中心部に向かったのだが、その時は狭い道路をバスが超絶技巧ですり抜けていったのが印象的でした。

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この地域は平地が少なく山肌に住宅や寺が密集しているのと、戦時中、空襲の被害が少なかったため、傾斜が急で狭隘な道路が保存されたようです。こでが「坂の街」と言われる所以となっているのですね。

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このような独特の景観から文学作品の題材として、また映画のロケ地として多く使われています。文学では林芙美子、志賀直哉などが居を構え、尾道を舞台とした作品を発表し、映画では小津安二郎監督の「東京物語」が尾道で撮影され、大林宣彦監督の「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」は『尾道三部作』として、この町を有名にしました。さらに、NHK連続テレビ小説「てっぱん」は記憶に新しいところです。

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ロープウェイで千光寺山に登って眺望を楽しみました。千光寺は広島県尾道市東土堂町の千光寺公園内にある真言宗系の単立寺院。境内からは尾道の市街地と瀬戸内海の尾道水道、向島等が一望できます。写真の川のようなのは海です。手前が本土、奥が向島。

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尾道市街と、目の前の向島の間は尾道大橋と新尾道大橋の2本の橋が架かってはいるが、にもかかわらず5本のフェリー航路が現在でも盛況に就航しています。

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以前に訪れたときは駅前の船着場からこのフェリーで尾道水道を渡りました。運賃は100円。船内でスタッフが一人ひとり徴収します。そのときは映画「男たちの大和」のオープンセットを見に来たのだが、このセット、とてもよくできていて、近づくとベニヤ板とわかるが、カメラと通したら間違いなく鋼鉄に見える。それよりも日立造船の、めったに入ることのできない造船所に入れたことに値打ちがありました。

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いまや瀬戸内の一地方都市の尾道。しかしこんな小さい町が造船や、それを支える工業で戦後の日本経済を支えてきたのかと思うと感慨もひとしおです。

  • 訪問日:2011年5月7日
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