先日、バスで、「座ってよ」と、席を譲られた。
お見受けしたところ、明らかに私よりご年配の方だ。
もっとも、そんな風に感じているのは、こちらだけ、 ・・・(?)
他の、絶対多数の方々から見れば、私の方がずっと年寄り臭いのかも知れぬ。
いずれにせよ、自分はすぐに降りるつもりなので、席を譲られたのだと思い、
有り難く座らせていただいたのだが、その実、相手の方は、バスの前方に
移動して、結局、終点まで立ちっぱなしだった。
つまるところ、人は (私は)、外見もそうだが、仕草、顔つき、総てを含めた
ものが評価の対象となるのだということなのだろう。
そんなことを改めて考えさせられた。
大体、自分の外見、無意識の仕草などは、本人自体はなかなか気付きにくい
ものだ。
実際、 「格好をつける」 ということは、本当はかなり困難なことなのだ。
多分、当人は普段から、そうと気付かず、「ふり」をしているつもりでいる。
人間同士の付き合いもまた、同じ事。
仲間とは、都合のいい時に利用するために、保存されたデータのようなものだ。
本当は、ただのデータに過ぎないと言い切ってしまいたいところたが、さすがに、
そこまでは、ちょっと・・・。
お見受けしたところ、明らかに私よりご年配の方だ。
もっとも、そんな風に感じているのは、こちらだけ、 ・・・(?)
他の、絶対多数の方々から見れば、私の方がずっと年寄り臭いのかも知れぬ。
いずれにせよ、自分はすぐに降りるつもりなので、席を譲られたのだと思い、
有り難く座らせていただいたのだが、その実、相手の方は、バスの前方に
移動して、結局、終点まで立ちっぱなしだった。
つまるところ、人は (私は)、外見もそうだが、仕草、顔つき、総てを含めた
ものが評価の対象となるのだということなのだろう。
そんなことを改めて考えさせられた。
大体、自分の外見、無意識の仕草などは、本人自体はなかなか気付きにくい
ものだ。
実際、 「格好をつける」 ということは、本当はかなり困難なことなのだ。
多分、当人は普段から、そうと気付かず、「ふり」をしているつもりでいる。
人間同士の付き合いもまた、同じ事。
仲間とは、都合のいい時に利用するために、保存されたデータのようなものだ。
本当は、ただのデータに過ぎないと言い切ってしまいたいところたが、さすがに、
そこまでは、ちょっと・・・。