80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

ふと思うこと

2017年07月28日 18時12分23秒 | 考える
客になるということ、それはある意味、相手に対して応対の機会を
与えるということでもある。

どのような職業でも、客あってこそ仕事が成立する。
客になること、それもまた、一つの 「社会貢献」 と言えるのではないか。
ふと、そんなことを考えた。

酒を飲む、飯を食う、マンガを読む。
そういう行為があって、それに対応する総ての職業が成り立っている。

ボケーッとして、ひたすらアパートの部屋にこもっている。
それすら、アパートの管理人、家主にしてみれば飯の種。

本屋にしろ、作家にしろ、読者あってのこと・・・。

病気になっての医者通い。
これも、言うならば、お医者様の、言葉は悪いが飯の種だ。

私の存在意義、
世の中は、持ちつ持たれつ、どちらも、互いに社会貢献。
 


他人を思い通りに動かしてみたい。 
そんな風に考える気持ちが自分の中にある。


時々、その気持ちが、頭を持ち上げてくる。
自分が主人公でありたい。
言うならば、そんな思いだ。

いやはや、これが70過ぎた盛年 (元気あふれる若い時期 ? ) の
考えなのだろうか? ・・・ 「盛年重ねて来たらず」

金が欲しい。
働きたい = 稼ぎたい。
金さえあれば、いささかなりとも、自分の思いに近づける。
そんな気がする。


美しく優しい女性と、二人で酒を酌み交わしてみたい。 

そんな歌があった。
二人でぇ、お酒を~っ、飲みぃましょうねっ、~♪
飲みぃましょうぉぉ~ねぇ~♪
  

パートナーが欲しい。
心のつながり、生きていくための支えが欲しい。
求めるものは「心の触れ合い」

まぁ、はっきり言ってしまえば、そんなものがあるはずもない。
それは・・・、分かっている。

そもそも私は、他人に多くを求めすぎていたのかもしれない。

自分自身を省みてみろ。

お前さんなどと、誰が付き合いたいと思うものか!!
そうだ、私以外はすべてが他人、・・・多人が他人・・・てか。

よく考えてみると、本当は、女性と言わず、気の合う話し相手、
いや、聞き上手な相手が欲しいだけなのだ。

昨年、私は、ずっと心の拠り所としていた女性 (母) を失った。 

今、帰るべき故郷なく、母もなく、行くべき先も定まらず。
積み重ねてきた過去も無く、何とも、中途半端な人生だ。

いいや、未来が、過去の延長でなければならぬ必要など、どこにもない。
未来は、常に、今現在、そう、この瞬間、瞬間が、未来を形作っていく。