80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

鬱呆け老人その日暮らし (2)

2018年09月16日 19時44分28秒 | 考える
他人の事を想像するのは自由だ。
だが、「本当の相手は全くの別人である」ことを自覚すべきだ。
彼には彼の考え方、個性がある。
人それぞれに、受け取り方、感じ方も、また異なってきて当然だろう。

何を言っても何をやっても、人によって受け取り方が違ってくると知れば、
またそれはそれで、悩ましい時間が続く。

大体、私は相手に対して、本当のことを伝え得たのだろうか?
相手に、自分の意図したことが、ちゃんと伝わったのだろうか?

とは言え、そればかりを、気にして生きていくのもどんなものか?
思うに、私は、他人に頼り、他人の息づかいばかりを窺って生きてきた。

考えてみれば、「生きている」 そのことだけで、すでに大変なことなの
だとも思う。

言い古されたことだが、所詮は他人同士、それ以上でもなければ、それ以
下でもない。

たまたま同じ方向を向いて歩いていれば、目的は違っても、同じ所までは
辿り着く。

が、ただそれだけの事。

しかし、逆向き、あるいは、ちょっとでも向かう方向がずれていたなら、
進むにつれて、二人の距離は離れていく一方だ。

他人は他人、無視されて当然。
何かを求めようとバタバタするのはやめよう。

物欲しげに、道行く女性を見送るのは、何とも見苦しい。


私は今現在、ここにあるだけのもの、これだけのものでしかない。
そういう事だ。

取りあえず、今現在、どう動くか?
まさに「今現在」考えている。
・・・しかし、これでは、遅いのだ!!


他人の事は放っておけ。
彼は彼・・・。
お前が支配出来るものは何ひとつ無い。

年を追うごとに、やりたかった事に気づき、
それをやり遂げる時間の無くなっていく事に気がつく。
()

これからどう考え、どう生きていくべきなのか?
老いのまっただ中、老いが身近に感じられる。
振り向けば、若き日が遠く、遙かに遠く見える。