ベンチの前を行き過ぎる人たち。
自分が直接関わり合うわけではないが、いろいろな人と、
また人と人との出会いの場に遭遇する。
私は、ベンチに腰を下ろして、ただただ傍観している。
ゴルファーと、その先生らしき男性。
警察官と、怪しき人物・・・(私にも経験がある。)
幸せそうに、話しながら通りすぎる男性と女性。
道行く人、行き過ぎる人々。
・・・そして、ここ、 ・・・ベンチで独り傍観する私。
出会いと別れ。
様々な人間関係が、私とは何ら関わりなく通り過ぎていく。
私自身にも出会いと別れがあった。
他人の事を考えて行動するのは当然の事だ。
だが、相手に何かしてやろうなどと考える。
思えば、それはおこがましい事だ。
あくまで他人は他人でしかない。
人間は、常に彼自身の計り知れぬ問題を抱え、考えている。
人生とは本来そういったものではないだろうか。
他人の人間関係に直接、いや間接にであれ、関わり合えるものではない。
問題解決は、あくまで当事者自身が当たる以外にないのだ。
小説の中ならともかくも、現実の世界では、
主人公やら、悪人やらが、常にそれらしい姿形をとってはいない。
「素」の自分は、一体どんな存在なのか?
考えれば考えるほど分からなくなってくる。
素直に私を見て、受け止めてくれる相手が欲しい。
私は、黙って目の前を通り過ぎる人を見ている。
今は、ただそれだけの関係。
もっと言えば、どれだけ深い関係を持とうと持つまいと、他人は、
所詮他人でしかない。
目的を持って行動している他人。
それをベンチから眺めているしかない自分に嫌悪感を感じる。
どこか、人のいないところへ行ってみたい。
もう一度、伊豆に泊まりに行こうか?
それも、ただの思いつき。
決行せねばそのままになる。
何の意味もない。
決行は、3日後か?
3年後か?
それとも、30年後か? ・・・
何れ、私が人である以上、死は確実に近づいてくる。
そう、何をどうやろうと、それだけは確かな事だ。
パイプが詰まった。
おっと、これはパイプ煙草の話。
そうだった、パイプには、常に空気の通り道が必要なのだ。
葉をケチって、細かくなったものまで詰め込むと、煙りの通り道が無くなる。
それ以前に火が付かなくなる。
人間も、そして私も同じ事だ・・・!!
自分が直接関わり合うわけではないが、いろいろな人と、
また人と人との出会いの場に遭遇する。
私は、ベンチに腰を下ろして、ただただ傍観している。
ゴルファーと、その先生らしき男性。
警察官と、怪しき人物・・・(私にも経験がある。)
幸せそうに、話しながら通りすぎる男性と女性。
道行く人、行き過ぎる人々。
・・・そして、ここ、 ・・・ベンチで独り傍観する私。
出会いと別れ。
様々な人間関係が、私とは何ら関わりなく通り過ぎていく。
私自身にも出会いと別れがあった。
他人の事を考えて行動するのは当然の事だ。
だが、相手に何かしてやろうなどと考える。
思えば、それはおこがましい事だ。
あくまで他人は他人でしかない。
人間は、常に彼自身の計り知れぬ問題を抱え、考えている。
人生とは本来そういったものではないだろうか。
他人の人間関係に直接、いや間接にであれ、関わり合えるものではない。
問題解決は、あくまで当事者自身が当たる以外にないのだ。
小説の中ならともかくも、現実の世界では、
主人公やら、悪人やらが、常にそれらしい姿形をとってはいない。
「素」の自分は、一体どんな存在なのか?
考えれば考えるほど分からなくなってくる。
素直に私を見て、受け止めてくれる相手が欲しい。
私は、黙って目の前を通り過ぎる人を見ている。
今は、ただそれだけの関係。
もっと言えば、どれだけ深い関係を持とうと持つまいと、他人は、
所詮他人でしかない。
目的を持って行動している他人。
それをベンチから眺めているしかない自分に嫌悪感を感じる。
どこか、人のいないところへ行ってみたい。
もう一度、伊豆に泊まりに行こうか?
それも、ただの思いつき。
決行せねばそのままになる。
何の意味もない。
決行は、3日後か?
3年後か?
それとも、30年後か? ・・・
何れ、私が人である以上、死は確実に近づいてくる。
そう、何をどうやろうと、それだけは確かな事だ。
パイプが詰まった。
おっと、これはパイプ煙草の話。
そうだった、パイプには、常に空気の通り道が必要なのだ。
葉をケチって、細かくなったものまで詰め込むと、煙りの通り道が無くなる。
それ以前に火が付かなくなる。
人間も、そして私も同じ事だ・・・!!