80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

70歳の私への遺言

2019年04月14日 14時31分21秒 | 考える
今日もまた、腰痛・孤独感。
・・・泣き言を言う。

遺言書には、書式というものがあるのだろうか?
たまには勇気を出して(?)、「遺言書」なるものを書いてみる。

決めつける気はないが、このまま何かあったら寝覚めが悪い。
何かと後を引きそうだ。

私は、誰でもいい、相談相手、相棒が欲しいと思っているのだが、
一人、自宅に引きこもっていては、当然だが、誰も近寄ってはこない。
と言って、物欲しそうに見回していれば、薄気味悪がられるばかり。
取りあえずは、現在の繋がりを大切にすることかも。

他人を相手にする時は、少々大袈裟すぎる反応を見せる。
それくらいで、やっと相手に通じるのだと、誰かが言っていた。
まずは、近しい仲間内で、自分をアピールする。
とにかく、ちょっとしたきっかけも大事にしていこう。

君への遺言。 

君は、潜在的に、他人を怖れすぎているのだ。
そう、兄や姉はもとより、妹や弟にさえ、引け目を感じているようだ。

しかし、他人は思ったほど、君を避けているわけでもないと思う。
もっとも、逆に、それほど君に好意を持っているわけではないとも思う。


確かに、他人と交わらねば、他人から傷つけられる事はない。
が、それで君は本当に満足できるのか?

時は容赦なく、無言で過ぎ去って行く。 
君は、今、何を考えているのか?
君は、一体何がしたいのか?
それを、取りあえず、形にして残していく。

君は、今、70を過ぎたばかりだ。
これまでの生活で、君なりの人生、生き方を追いかけてきたはずだ。

いや、何もカッコをつける事など何もない。
ありのまま、自分自身の思うがままに生きていくべきだ。

これから先の失敗は、それほど怖れる事もないだろう。
失敗は、これまで充分に体験してきた。

これからの人生は、せめてカッコだけでも、胸を張って生きていこう。
どの道、これから死ぬまでの一刻にすぎない。

今日は、青空、桜吹雪、・・・出発には何とも好都合だ。
・・・もっとも、いかにも、こじつけた感じがしないでもないが。

私も、もう歳だ。
いろいろやりたい事はあるものの、おそらくは、皆、中途半場で終わって
しまう。
そんな気がする。

そう言えば、若い頃、ある人から言われた。
「君には、中途挫折の相がある。」
言い訳になるが、ずっとそれが、頭の片隅にこびりついていて、
何かあると、その都度、思い出される。
結果、それを、失敗の言い訳にして過ごしてきた。

君には、そうあってもらいたくない。
失敗は、運命でもなく、他人のせいでもない。

人生の失敗も、成功も、つまるところは、君自身の行動の結果なのだ。
この人生はただの一度。
生まれ直し、生まれ変わっても、この人生をやり直す事など出来はしない。

今度、生まれた時は・・・と、これも不可能だ。
人は、いつだって、ただ一度の人生しか生きられない。
生まれ直しとは、ただの言葉遊びにすぎない。
しかし、今ならまだ間に合う。
人生はまだ終わってはいない。


結局、やり直し、やり残しのないように生きる努力が大切なのだ。
そう、人と人との関わり合いも、また、この一度、今だけだ。

最後に一言。
どんなに素晴らしい事を考えだしたとしても、それが人に伝わらねば
何の効果も得られないという事だ。
 

君はいろいろ考えているようだが、それは他人に伝わってこそ意味を持つ。
自分一人で抱え込んでいては、ただの独り合点にすぎない。
そこをじっくりと考えてみる必要があると思う。