80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

放埒 (ほうらつ) の日々 (その4)

2019年11月10日 10時38分23秒 | 考える
放埒・・・気ままに振る舞う。 気ままで締まりがない。

文章(ブログ)とは、私の場合、自己証明、あるいは 存在証明なんだろう。

ふと思う。
考えること、思うことは、人それぞれだ。

誰だって、他人からああしろ、こうやれと、指図され、強要されるのはおもしろくない。
ごめんこうむりたいだろう。
まぁ、私の場合、言ってみれば、ただの「ものぐさの言い訳」でしかないのだが。

私、1946年生まれ、今年、多分 (計算が違っていなければ) 73歳になる。

今後は・・・?

今後の事は、無理にどうこう考えても仕方がない。
なるようにしかならない。 

このまま、気分次第で生きていく。
結局、嫌も応もなく、人は死ぬ時がきたなら、どうしようと死んでいく以外に選択肢はないのだ。

と、言うことで・・・、
なんくるないさ。 (←沖縄方言で、何とかなるさ。 ・・・だとか。)

ほんのちょっとした好奇心が、その後の人生を大きく支配することになる。

11月の朝、目覚めた時に、ふと気がついた。

私が70年間をかけて、ずっと追い求めてきたものは、マルクスでも、釈迦でも、日蓮聖人でも、夏目漱石でもなかった。

この私、自分自身が本来あるべき姿、本当の姿だったのだ。

思えば、・・・今さら思ってもどうしようもないのだが、何と無駄な時間を費やしてきてしまったものか。

憧れ、心酔、思い込み、・・・等々。

時が過ぎ、体が自分の思うとおりに動かなくなって、人は初めて気がつく。
このままでは、どうにもならない。

人は・・・、いや、万物総てが、いずれは消滅していく運命を背負って存在している。

と、まぁ、これは正直な話、この歳になるまで、何の縁もなく、従って跡継ぎもない、ただの独りぼっちの男の愚痴でしかないのだが。

そんな事に、今になってやっと気がついた。

で、これからどう生きていこうか?