11月8日(金) 暦の上では「立冬」だそうだ。
気分のせいか、一段と寒くなったような気がする。
それはそれとして、弟と私、兄弟だとは言え、二人は別人格だ。
私個人の考えで、弟を縛り付けることなど、すべきではなかろう。
そう、年寄りには、最早やるべき事、語る事べきなど、何もありはしない。
交番前の広場のベンチに、所在なさげに、一人腰掛けている老人が私だ。
警官がこちらをしきりに気にしている・・・と感じている。
無論、これは、私の思い込みなんだろうが。
私とは無関係の人々が目の前を通りすぎていく。
時折、目に付くのが、やたらに奇をてらったようなコスチュームの若者。
それほど人目につきたい、目立ちたいのだろうか?
しかし、よくよく考えてみると、ベンチに一人、さも所在なさそうに腰掛けて時を過ごしているこの私自身。
こちらも、逆の意味で、大いに目立っているのかも知れない。
思えば、今の私には、後に残すべきものが何もない。
迷いは、私を、そして他人を拒む。
私にはどうやら「縁」というものが少ないようだ。
いずれにせよ、まだこれからも生き続けていかねばならない。
一方、私の耳元で「あの世からの呼び声」がささやき続けている。
もうお前の居場所は、この世のどこにもないぞ!!
そう、誰もお前に何か任せる事など望んではいない。
他人の考えはともかく、今後、なお生き続けるならば、私に何か出来そうなことがないだろうか?
私の生きていく価値は、どこかにあるのだろうか?
現在、私は70代。
他人のことは知らず、今の私はまだまだ若造でしかない。
だがまた、10代の声も聴かずに亡くなっている人も多いのがこの世だ。
今を精一杯生きていく。
・・・いつ死んでも後悔せぬように・・・。
もっとも、死んでからでは後悔のしようもない、と言うのが実際の話なのだが。
突然だが、気になった言葉・・・、
鼻炎壺(びえんこ)とは? ・・・嗅ぎ煙草を入れておく容器の事だそうな。
ふ~ん・・・!!
それはともかく、よく晴れた火曜日 (11月12日) だというのに、今日は、何とも落ち着かない気分だ。
私にはコミュニケーションを交わす相手がいない。
何と言えばいいのだろう?
「自分の存在が社会的に否定されている」・・・そんな感じと言ったらいいのだろうか?
公園のベンチに腰を掛け、腕を組み、ちょっぴり空を見上げたまま、時がじわじわ過ぎていくのを、ひたすら待っている。
(ちょっと見には、何やら考え込んでいるように見えるが、実際には何も考えていない。
考えられないというのが本当のところだ。)
やるべき事が無く、金も無い時は、これが一番だと、今、私は思っている。
気分のせいか、一段と寒くなったような気がする。
それはそれとして、弟と私、兄弟だとは言え、二人は別人格だ。
私個人の考えで、弟を縛り付けることなど、すべきではなかろう。
そう、年寄りには、最早やるべき事、語る事べきなど、何もありはしない。
交番前の広場のベンチに、所在なさげに、一人腰掛けている老人が私だ。
警官がこちらをしきりに気にしている・・・と感じている。
無論、これは、私の思い込みなんだろうが。
私とは無関係の人々が目の前を通りすぎていく。
時折、目に付くのが、やたらに奇をてらったようなコスチュームの若者。
それほど人目につきたい、目立ちたいのだろうか?
しかし、よくよく考えてみると、ベンチに一人、さも所在なさそうに腰掛けて時を過ごしているこの私自身。
こちらも、逆の意味で、大いに目立っているのかも知れない。
思えば、今の私には、後に残すべきものが何もない。
迷いは、私を、そして他人を拒む。
私にはどうやら「縁」というものが少ないようだ。
いずれにせよ、まだこれからも生き続けていかねばならない。
一方、私の耳元で「あの世からの呼び声」がささやき続けている。
もうお前の居場所は、この世のどこにもないぞ!!
そう、誰もお前に何か任せる事など望んではいない。
他人の考えはともかく、今後、なお生き続けるならば、私に何か出来そうなことがないだろうか?
私の生きていく価値は、どこかにあるのだろうか?
現在、私は70代。
他人のことは知らず、今の私はまだまだ若造でしかない。
だがまた、10代の声も聴かずに亡くなっている人も多いのがこの世だ。
今を精一杯生きていく。
・・・いつ死んでも後悔せぬように・・・。
もっとも、死んでからでは後悔のしようもない、と言うのが実際の話なのだが。
突然だが、気になった言葉・・・、
鼻炎壺(びえんこ)とは? ・・・嗅ぎ煙草を入れておく容器の事だそうな。
ふ~ん・・・!!
それはともかく、よく晴れた火曜日 (11月12日) だというのに、今日は、何とも落ち着かない気分だ。
私にはコミュニケーションを交わす相手がいない。
何と言えばいいのだろう?
「自分の存在が社会的に否定されている」・・・そんな感じと言ったらいいのだろうか?
公園のベンチに腰を掛け、腕を組み、ちょっぴり空を見上げたまま、時がじわじわ過ぎていくのを、ひたすら待っている。
(ちょっと見には、何やら考え込んでいるように見えるが、実際には何も考えていない。
考えられないというのが本当のところだ。)
やるべき事が無く、金も無い時は、これが一番だと、今、私は思っている。