80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

氷雨降る勤労感謝の日

2019年11月23日 15時57分23秒 | 考える
やたらと寒い、氷雨降る勤労感謝の日 
2019/11/23(土) 雨


4:45 弟君 出勤する。
いやはや、こんな日に出勤せねばならぬとは・・・。
とはいえ、私自身とて上司に頼まれたら断りづらいし、多分、嫌とは言えないだろう。
いまだ、元気に働けることに感謝の日、・・・と、いうことで。
しかし、我が事ならずとはいえ、実際、何ともご苦労様な事だ。
と同時に、何とも羨ましいかぎりだ。
いずれにせよ、これが人生なのだとでも割り切っていかねば、まともに生きてはいけないだろう。

それはそれとして、私事・・・。
この頃、右手に何かを持って上にあげようとすると、思うようにいかないことがある。
たとえば、パンを食べようと右手でつかむ。
ここまでは良い。

しかし、それを口に運ぼうとすると、肩の辺りまでは動いてくれるが、その先、口元までスムーズに手が動いてくれない。
で、前とは逆に、口の方を、あがらない手の方に近づけていく。
それでやっと、パンのかけらを口に入れることが出来るというわけだ。

まぁ、今のところは、しょっちゅうというわけではないので、まぁまぁごまかしている。
だが、これが重なり、常の事になってくるようだと、ぞっとするではないか。
 

やがては、それが「寝たきり」につながっていくような気がする。
と言って、私のような金も無い老人が、他人様の手を煩わせてまで、ダラダラと生き続けていくわけにもいくまい。

老木に花の咲く
哀なり、哀なり
老木の花の枝
指す袖(そで)も、手(た)忘れ
裳裾も、足弱く
ただよふ波の
立舞う袂(たもと)は、翻(ひるがえ)せども
昔に返す袖は、あらばこそ
あら恋しの古(いにし)へやな

(『関寺小町』の一節で、百歳になんなんとする小野小町が、「豊の明の五節の舞姫の」古えを憶い出でて舞う場面である。・・・「能」のかたち=白洲正子より)
 

生き物は、総て、長短の違いこそあれ、やがては死んでいく。

他人に合わせて生きようと思うのはもう止めたい。
どうあがいても、他人の考えを見通す事など、誰にも出来はしない。
それこそ無駄な努力というものだろう。

私もやがて70代後半、他人はともかく、自分はもう腐りかけているような気がしている。
もう、この先の時間、・・・今後の時間が、まるで見えてこない。
他人を、また親兄弟を頼ってみても、それでどうにかなるわけでもない。
親兄弟でも、私と同じ事を考え、私の思うような行動を取ろうとするわけもないだろう。