「私は武士だ!!」 ・・・心の、そして行動の支えとなる想い。
しかし、何を持って「武士」と言うのか?
私はずっと不良品だった。
せめて今後は、自分に関わる物ぐらい思い切り高級なものを選んでいきたい。
正直に己を晒して生きていく。
常に、自分に自信を持って、即断、即行動する事だ。
人間の、つまり自分の持ち時間は限られている。
この世(三次元)と、あの世(四次元)の、狭間(3.5次元)を彷徨う。
まぁ、無理することはないやな。
金は無くなりゃ、そこでひとまず終わり。
その後、どうなるか、どうするかは、先のこと。
義理も、へったくれもない。
まずは自立せねば。
自分に余裕があってこそ、なんぼのものだ。
自らの可能性に、「70過ぎ」という言葉でブレーキをかけている。
100歳以上生きる (・・・確か、200歳までと言った記憶がある。) と言ってきた私だが、100歳までだって、まだ30年もある。
他人とは、必ずしも自分の考えているような存在ではない。
それは、常に心得ておくべきだ。
音もなく 散りゆく花の 声を聴く
いずれにせよ、何の疑いもなく、これが私の人生なのだ。
良いか悪いかはともかくとして、他人を当てにして生きようとするから、結果、さらに孤独を感じるのだろう。
ウィスキーを飲んでみても、葉巻を吸ってみても、どうにもならない。
にもかかわらず、解決を求めて(?)、ウィスキーをあおり、葉巻を吸い続ける。
さして、うまいとも思わない。
半分は惰性・・・。
今のところは、気がつけば・・・、というほどではないが。
何とも、如何ともしがたい孤独の人生を続ける。
私と弟、ふすま1枚へだてて暮らす日々。
私達には共通のカレンダーがない。
ただ、お互いの時刻が、それぞれ勝手に過ぎていくばかりだ。
空しい共同生活・・・!!
まぁ、泣き言ばかり言っていても、何の解決にもならない。
で、どうするのか・・・?
時は、知らん顔で通り過ぎていく。
待っているのは「孤独死」だけなのか? ・・・断言したくない!!
が、一方で「どうでもいいや!!」と思っている自分がいる。
しなければならない・・・そんな切迫感を感じさせる何ものもない。
用無しの、しょぼくれ爺さん。
何か、どうしてもやらねばならぬ、そんなものが欲しい。
もっとも、そんなものがあったとしても、やりおおせるかどうかは別問題だが。
思うに他人に誇れるものは、何ひとつない年寄り。
残された人生で、何かやらねば、そう想う日々なのだ。
年寄りの繰り言でしかないのかも知れぬが。
どこかが変だ。
いくら経っても、脳天気な私。
酒を飲んでも、タバコ・葉巻を吸ってみても、何一つ変わらない。
何もかもが中途半端で、嫌になる。
そんな空気の中で、ただ生き続けている。
繰り言の日々。
ただ、時計の針だけは、何のこだわりもなく、ひたすら回り続けている。
そんな気がする。
私は何も言えず、まわっていく時計の針を、ただ眺めているばかりだ。
もう、どうでもいい。
そんな気がする。
70過ぎの老人には、誰も何も指示してはくれない。
酒とタバコ、そして葉巻の空しい日々。
そして、それは来年もまた・・・。
指示待ち人生はそろそろ卒業せねばと思う。
正直な話、残りの時間は、多分それほど無いだろう。
来年こそは・・・!!
今年も1年、本当にありがとうございました。
しかし、何を持って「武士」と言うのか?
私はずっと不良品だった。
せめて今後は、自分に関わる物ぐらい思い切り高級なものを選んでいきたい。
正直に己を晒して生きていく。
常に、自分に自信を持って、即断、即行動する事だ。
人間の、つまり自分の持ち時間は限られている。
この世(三次元)と、あの世(四次元)の、狭間(3.5次元)を彷徨う。
まぁ、無理することはないやな。
金は無くなりゃ、そこでひとまず終わり。
その後、どうなるか、どうするかは、先のこと。
義理も、へったくれもない。
まずは自立せねば。
自分に余裕があってこそ、なんぼのものだ。
自らの可能性に、「70過ぎ」という言葉でブレーキをかけている。
100歳以上生きる (・・・確か、200歳までと言った記憶がある。) と言ってきた私だが、100歳までだって、まだ30年もある。
他人とは、必ずしも自分の考えているような存在ではない。
それは、常に心得ておくべきだ。
音もなく 散りゆく花の 声を聴く
いずれにせよ、何の疑いもなく、これが私の人生なのだ。
良いか悪いかはともかくとして、他人を当てにして生きようとするから、結果、さらに孤独を感じるのだろう。
ウィスキーを飲んでみても、葉巻を吸ってみても、どうにもならない。
にもかかわらず、解決を求めて(?)、ウィスキーをあおり、葉巻を吸い続ける。
さして、うまいとも思わない。
半分は惰性・・・。
今のところは、気がつけば・・・、というほどではないが。
何とも、如何ともしがたい孤独の人生を続ける。
私と弟、ふすま1枚へだてて暮らす日々。
私達には共通のカレンダーがない。
ただ、お互いの時刻が、それぞれ勝手に過ぎていくばかりだ。
空しい共同生活・・・!!
まぁ、泣き言ばかり言っていても、何の解決にもならない。
で、どうするのか・・・?
時は、知らん顔で通り過ぎていく。
待っているのは「孤独死」だけなのか? ・・・断言したくない!!
が、一方で「どうでもいいや!!」と思っている自分がいる。
しなければならない・・・そんな切迫感を感じさせる何ものもない。
用無しの、しょぼくれ爺さん。
何か、どうしてもやらねばならぬ、そんなものが欲しい。
もっとも、そんなものがあったとしても、やりおおせるかどうかは別問題だが。
思うに他人に誇れるものは、何ひとつない年寄り。
残された人生で、何かやらねば、そう想う日々なのだ。
年寄りの繰り言でしかないのかも知れぬが。
どこかが変だ。
いくら経っても、脳天気な私。
酒を飲んでも、タバコ・葉巻を吸ってみても、何一つ変わらない。
何もかもが中途半端で、嫌になる。
そんな空気の中で、ただ生き続けている。
繰り言の日々。
ただ、時計の針だけは、何のこだわりもなく、ひたすら回り続けている。
そんな気がする。
私は何も言えず、まわっていく時計の針を、ただ眺めているばかりだ。
もう、どうでもいい。
そんな気がする。
70過ぎの老人には、誰も何も指示してはくれない。
酒とタバコ、そして葉巻の空しい日々。
そして、それは来年もまた・・・。
指示待ち人生はそろそろ卒業せねばと思う。
正直な話、残りの時間は、多分それほど無いだろう。
来年こそは・・・!!
今年も1年、本当にありがとうございました。