80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

置手紙・・・総てを忘れてしまわぬうちに (1)

2017年08月14日 12時47分43秒 | 考える
ずっと、童話、あるいは小説を書いてみたいと思っていた。
若い頃からの夢の一つ。
そもそも、それが人生の目標の一つではなかったか ?!
ただし、あくまで、一つの目標として。

・・・未だ実現せず。 

そう、何事であれ、始めなければ終わらない。
そんな事を、今頃になって、気づく。

つまるところ、 「真剣さ」 の問題なのかもしれない。

自分を他人と比較しても、結局、理想となる他人を超えることなど
出来ないような気がする。


多分、私は・・・、いや、誰でもが、それぞれが、特殊な人間なのだ。
いい意味でも、悪い意味でも。


青春、朱夏、白秋、玄冬。
・・・私の立ち位置は、今、どこだろうか?

加齢 ・・・そろそろ、「発想の転換」が必要なのかもしれない。

雨が降り始めた。
人生の減速期 ・・・自覚して、積極的に対処していく必要がある。


諦める = 明らめる → だとか。
自己を、自分の過去を納得する。 → 現状を認める。

それが始まり。

例えば、腰痛を治すのではなく、治める。
これも、誰かが言っていた。

でもなぁ、治めても(?)、痛い時は、痛い・・・。

それが、生きているということ。

病院に、患者のない日が続くというのは良いことだ。
どこかで、そんなことを読んだ記憶がある。

高齢とは、それだけ 「死」 に近づいているいうことなのだろう。
多分、人はいつかは死んでいく。 ・・・と言う。


老人が増えるということは、いずれ、まとまって死者が増えると
いうことなのだ。

誰に言うともなく ②

2017年08月13日 14時41分09秒 | 考える
2017年8月12日(土) 雨のち曇り

母を思う。
思えば、母の人生も、また波瀾万丈だったというべきなのかも
しれない。

愛した男に「連れ子」がいるとは、普通、想像しなかったろう。
しかも、その子が「小児麻痺」だ、などとは・・・。
 

しかし、そんな私を、一生懸命、独り立ち出来るまでに
育て上げてくれた。

今さらながら 「感謝 !!」 の一言しかない。
 

ひるがえって、私は、母に何の恩返しもしていない。

と言ってみても、今さらどうなるはずもないが、
出来るものなら、今からでも、母のように、
心から誰かを愛し、愛されてみたい。


それが、一つの恩返しになるような気がする。
とは言え、この歳ではねぇ・・・。 

母は、近々、海に散骨。
いずれは、私も・・・。

そうだ、二人して、「世界旅行」 しよう。 
勝手に決めて、迷惑だと言われるかな?


朝からの、小雨がやんで、ぶらり散歩に出る。
何となく、団地内をひとまわり。

バス停前の階段、水たまりを避けようとして、足を滑らせた。
危うく、転倒するところだったが、何とか立て直した。


見ていた男性が、
「危なかったね、大怪我をするところだったよ。」 

いやいや、かく言う私も、正直、ヒヤッとした。

私という男、いくつになっても、進歩しない人間だ。

何か、この頃、こんな場面が多くなってきたような・・・。
注意せねば、注意しようと思う。

しかし、人には、気持ちだけでは、どうにもならないことがある。

とは言え、最終的に自分の行動をコントロールできる人間は、
本人以外の何者でもない。
 

いやはや、人間とは、何と面倒くさい生き物なのだろうか。 

誰に言うともなく ①

2017年08月12日 15時51分59秒 | 考える
2017年7月4日(火) 薄曇り、やたらと蒸し暑い。
まだ何か、他人を頼ろうとする気持ちが強い。
だから、いつまで経っても、私は駄目なのだろう。 

相談相手・・・?  何を今さら・・・!!  
自ら考え、自ら処理しろ。 

いつまでも、人頼みの年齢でもあるまい。

ふと、うまい「ビーフシチュー」 が喰いたくなった。 

今、何となく、部屋の中に、自分の居場所がない。  ・・・ような。 

居場所を求めて、ブラブラリ・・・。
最終的に行き着くところと言えば、普通、「墓場」 ということに
なるのだが、その場所も、今は無いに等しい。

「折り紙飛行機」・・・熱中できるなら、それもまた良し。 

間もなく、あと20日もすれば、私は71歳を数える。
(実際には、半月前に超えている。)
今さら、祝ってくれる人は無し。

独り、ごろ寝の空間が欲しい。

そう言えば(脈絡無し)、昔、「歌声喫茶」というのがあった。
 

これからの人生、終末期(?)の人生って、どんなものになるのだろう? 

このところ、ブログの投稿が前後するような・・・、 まっ、いいか !! 

母と石斧

2017年08月11日 09時34分59秒 | 考える
母が亡くなって、すでに丸 1年と 2か月が過ぎた。 

言い古された言葉だが、人生とは、長いようでいて、案外、短いものらしい。
その時、その時にやるべきことをやっておかぬと、後々後悔することになる。 

小学生のころ、道端で拾った石 (多分、古代の石斧だったと思っている) を、
ずっと保管していた。

私が、一人、東京暮らしを始める時、母に頼んで、預かってもらった。

それから40年以上になる。

ふと思い出して、尋ねてみたら、預けたときのまま、菓子箱に入って、ちゃんと
保管しておいてくれた。

後で引き取るからと、結局、預けっぱなしになってしまった。

私には、思い出深い、大切なものだが、他人にとってみれば、ただの石ころ、
どこにでも転がっている石屑の一つに過ぎない。
  
母の遺品整理をしている時にもちゃんとあったのだが、うっかり後回しに
してしまった。

気が付いて、探してみたが、どこかに紛れ込んでしまって見つからない。 
おそらく、ごみと一緒に捨てられてしまったのだろう。
 

物の価値とは、当人にしか分からないものだ。
今さら、やむを得ないこととはいえ、返す返すも残念なことをしてしまった。
どうやら、私は、母の40年間を 「台無し」 にしてしまったらしい。 

今更言ってみても仕方がないが、これが 「後悔先に立たず」 ということなのだろう。


ところで、今日、8/11(金)は 「山の日」 だとか。
    ・・・ふ~~ん・・・?!

チラシ配り

2017年08月07日 16時54分57秒 | 考える
8月7日(月) 晴れ

昨日の祭りのテントを片付けている。

その横で、女の子が「チラシ配り」をやっている。
「よろしくお願いしまぁ~すっ・・・。」 

ほとんど、誰にも受け取ってもらえない。

それでも、一生懸命に、道行く人に声をかける。
笑顔で、チラシを差し出す。
相手は、ほとんど見向きもせずに通り過ぎていく。


意外に、苦しいアルバイトだ。
道行く 「赤の他人」 との関係を構築(?)する。
(はっきり言って、彼女のせいではないが) 個人の無力さを感じる。
まぁ、これもまた、一つの経験なのだろう。

世の中、総てが 「他人」頼み なのだ。

しかし、自分の気持ちが、どうあろうと、
また、受取る相手がどう考えようと、
まずは発信 (表現) せねば、他人に伝わるものは、何も無い。

何のために生きるのか?
何のために生きたのか?
 

年齢相応に、いろいろと考えていけばいい。
20は20、70は70 ・・・ それぞれ、体力も経験も違っている。
考え方が違ってきて当然だ。
 

そろそろ、何かを求めようという気持ちを
超越できないものかと考え始めた。

いずれにせよ、人は、自分以外の存在には
為り得ないのだ。