友達のお薦めで読みました。江戸から明治にかけてのお話です。絵師河鍋暁斎(かわなべきょうさい)の娘河鍋暁翠(かわなべきょうすい)を主人公に書かれています。どんな分野でも親の仕事を継ぐのは1番簡単そうで、実はそこには計り知れない葛藤があると思います。親であったのが急に師匠となり、畏敬の念に打たれ葛藤が始まります。河鍋暁斎の後を継ぐために技術はもちろん、感性も鍛え世の中の価値観に惑わされず、自信をもって貫く、また貫くためには経済的にもいかに大変だったかと思います。その上兄の河鍋暁雲(かわなべきょううん)もいて、その才能に圧倒されます。画鬼と呼ばれた父と父の画風を継承した兄。その後を託された暁翠。「星落ちて、なお」・・・聞く相手がいなくなってもなお・・・清兵衛が話します。
「わたくしはつくづく、思うんですよ。人ってのは結局、喜ぶためにこの世に生まれてくるんじゃないですかね。」
「喜ぶために、ですか」
「ええ。だって、どれだけあくせく働こうとも、どんなにのらくらと生きようとも、結局、人はあの世には何にも持っていけないのですよ。ならせっかく生まれてきたこの世の楽しみ、日々を喜んで生きた方が、息を引き取る瞬間、納得できるじゃないですか。それは決して、絵や能だけには限りません。魚を獲る漁師もお役人も商人も・・・この世のすべてはきっと、自ら喜び、また周囲を喜ばせられた者が勝ちなんです」
いつものように登場した河鍋暁斎や暁雲、暁翠の絵を見たくなり、図書館で探して画集を見ました。水墨画であったり、怖い絵であったり私の好みの絵ではありませんでした。小説は直木賞も受賞されて、読み応えがありました。
2022-9-21(水) 図書館資料 請求番号:913/サワ
人生など大きな観点から考えれば、ほとんど徒労なんですね。しかし、そうではあっても何らかの芸術活動であったり、日々の生活を生きるための活動だったり、自分の好奇心を満たすための仕事だったりするわけです。
それを徒労だと考えるのはあまりにも虚無的に過ぎるというのが私の思っていることです。
悠久の宇宙の歴史からすると、人間の活動はどう考えても徒労にすぎないけれども、それでもなんらかの生き甲斐を感じて生きていく。それが人間なんだと思っています。
作家はそういうことをさりげなく、表明する手段を持っていていいですね。
やはり描くことが好きなので続けて来られました。
せっかく生まれてきたからには喜べるようなことをしたいですね。
そのためには苦労も乗り越えられるのかなと思います。
最近は芸術家の小説を読むことが増えました。
芸術のことも何もわかりませんが、これもご縁ですね。