A whiSper Of memOrieS

☬Murmure de mémoire☬

Otsuka-1

2019-08-13 | Tokyo
「Tシャツの英語」/昨日、あるライブハウスに行くと、ロビーでRushの“Test for Echo”ツアーのTシャツを着ている人がいて、つい興奮。日本でRushの、それもツアーTシャツを着た人などほとんど見かけないので、「アメリカでライブ、行ったんすか?」と話しかけたくなったが、変なひとと思われるのが関の山なので、興奮を抑制。/でも、これって典型的な日本人の思考パターン。時々、日本から離れると、こういうせせこましい心理活動は激減し、かなり自由に話しかけたり話かけられたりできる。/躊躇した理由はもうひとつある。/最近、名前を知らないバンドのジャケTやキャラTをファッション感覚で着ている人が私の周りに複数いて、そのアーティストの話題を振って肩透かしを食ったことがある。/デザイナーが「はっきり意味付けした」商品を身に纏っているのに、単なるファッションなんだから書いてある横文字は「飾り」だとして、意味も知らずに着ていられる感覚は理解に苦しむ。気持ち悪くないのかな?だが、外国人が「自己嫌悪」とか「婚活。」とか「冷奴」などのTシャツを着て、繁華街を闊歩しているのと同列だと思えば、腑に落ちる(?)。/A「いまポストトゥルースの時代とか言われてるわけだし、自分が着ている服の意味なんて別にテキトーでいいんです。そんな細かいこといちいち気にしなくたってよくないですか?」。B「Tシャツでポストトゥルースかぁ。その他諸々はちゃんと調べてるの?」。A「重要なことはスマホでしっかりチェックしてるんで、大丈夫です!」。B「大丈夫かぁ。でも、Tシャツの英語は調べないんだ……」。A「はい。興味ないんで。…えっ、ダメですか?」/日々、情報過多、SNS過多でお腹一杯、あるいは消費者至上(どう扱おうが買った人間の勝手。確かに。)、ってところか。//BGB:『悲しみの秘儀』(若松英輔著、ナナロク社、2015年)//追補:Ota-48に書いたことと違う状況が現在発生していますが、浅慮を眺めるためにも、しばらく晒しておきます。
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