それしかないときに、それはやたらと大事にされ、重宝される。それ以外もあるとき、それは多くのうちのひとつと見做され、軽視され、後回しにもされる。|どこで何を食うたかなどについて公表するのが野暮に思えて久しい。これまでにもビジュアルとして興味深い食べ物の写真を載せたり、食にまつわるエピソードを少しは書いたことがあるが、食レポそのものは気恥ずかしい。食通でもないし、涎誘ってどうすんねん。|「どこかで見た人」はそこら中にいる。あなたも私も例外なく、誰かにとっての「どこかで見た人」にカテゴライズされている。人生のなかで「どこかで見た人」でないのは、私たちの身近にいる人たちのみである。いや、周りのひともどこかで見た人になる場合もある。それを思うと恐ろしい。|情報不足がいい。情報不足にしないとクリエイティブになれない。脳内に創造のためのスペースを空けるのに、私の場合、数か月かかる。忘れた頃に不意に降りてくるいろいろなものたちが愛おしい。|
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